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大きな事件を見ると犯人の死生観を目の当たりにする

 

日本滞在2週間の最後になって初めてTVをつけてみました。

それまではTVのある一角を子供たちに占領されて観れなかったのです。

点けて早々流れてきたニュースがこれ。

 

「これでお前も俺の女だ」元大阪地検検事正、犯行時に部下に発言か 検察側冒頭陳述
大阪地検のトップ「検事正」に在任中、酒に酔った部下に性的暴行を加えたとして、準強制性交罪に問われた元大阪地検検事正で弁護士、北川健太郎被告(65)の初公判が2…

 

きっとご覧になった方もおられるでしょう。

被害女性がわなわなと体を震わせ、精一杯声を振り絞りながらどれほど辛く苦しかったかをまさに語っている瞬間で。たとえ加害者が罪に問われて刑を受けることになっても到底許せる気持ちにはならない、といったことをお話になっていた気がします。

 

犯行状況や当時の加害者の言動は卑劣極まりないもので

 

被告が犯行時に「これでお前俺の女だ」と発言したと指摘した。

 

被害者はきっとこの女性一人ではないのでしょう。きっと常習犯。

 

私はこういう事件を見るたびに思います。こういうところに加害者の死生観が如実に表れるよなあと。

『お天道様は見ている』という言葉がありますが、正直ふふっと鼻で笑ってしまう。

本当にお天道様だけだと思っているのかい?

と。

 

私たちがしていることなんてあっちの世界からはモロバレの丸見え。こんな満席の大きなオペラ劇場の

 

Gustav Klimt, Burgtheater

 

舞台の上で、この男が同じことをしただろうか?と問われれば答えは間違いなく否。

実際はこんな劇場どころか、宇宙の果てまで津々浦々リアルタイムで全ての存在に伝播します。それも私たちの言動どころか、その奥底の本心こそ

 

それを知らないから、それどころか

この世は1回限り、死ねば無に帰す

というあまりに都合のいいお花畑思考でぼんやり生きているからこそこんなことが平気でできてしまう。無に帰するのであればやったもの勝ち思考になりますでしょうね、そりゃあ。だって死ねば雲散霧消なのでしょう?自分の犯した罪も都合よく消えてなくなるわけでしょう?

 

甘いねえ、甘い甘い。

どろどろの蜂蜜の中で阿呆みたいにぷかぷか浮きっぱなしで、脳みそまでどろどろに溶けてしまったんだな・・ってくらい甘い。

 

この人、死んだ後大変ね・・

と思わずにはいられない人というのはたくさん存在します。

まあせいぜいおきばりやす。

 

とこれだけでは何なので、算命学。

 

 

この男は今年・来年と天中殺で、来年には東西に天剋地冲が出る年周り。隠れていたことが明るみに出たのもなるべくしてなりましたよと。外の世界も内の世界も粉々に壊れ全部ひっくり返ることになる時期。

 

でもそれにしてもよく今まで隠し通せたな、おい!という感じ。

もともと食禄神格で食べることと財には困らないという恵まれた命式。もちろんこれはご先祖の恩恵、尽力の賜物なわけですがそれをこんな風に消費するなんてね。

もっというと今年は食禄入墓格という、まあ大変な1年です。

けれどもまっとうに、且つ宿命を生きていられればこんなことにはならない。自業自得ですが、死んだ後は冗談抜きでこんなものでは済まないんだよなあ・・・。

まあせいぜい頑張ればいいんじゃないですかね。

 

 

人生観もそうですが、一人の人間をその心を無視して自分に都合のいいモノのように扱える横暴さ。何故こんなことができてしまうかというと、この男もまた繰り返し繰り返し気持ちを無視されモノのように扱われる環境の中で育ってきたからなのでしょう。身近な人との関係において、一人の人間として必要な最低限の尊重がなかった。そうでなければ人間こうはならないものです。

今回のような出来事では分かりやすいですが、日頃のちょっとしたことでもそういったお家仕草というのは可視化されるもの。お里が知れるとはこういうことをいうのです。

 

たった1度のことでも、それによって被害女性は長い時間地獄を歩くことになる。この女性の心が1日も早く癒され、平穏を取り戻しますようにと心から祈ります。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

The Smiling Spider, Odilon Redon

ルドンいいよね、ルドン。好きだなあ。

 

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