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あの世に帰ってから可哀想な人、可哀想の内容第一弾

 

本日の神の一曲、シューベルト(3曲ですが)。


私はこの演奏中の手が好きなのです。こんなに神々しくて美しいものがあるでしょうか。

 


 

 

さて。

当方は去年父親を亡くしておりますが、亡くなってからの方が距離が俄然近いと当たり前のように思っています。

そりゃそうですよ。生きている間は各々が肉体という入れ物に入ってそれが壁になり、意思疎通しようと思うとわざわざ言葉に直して喋るとか、メールするとか、何か手段を取らなければいけない。正しく伝えたからと言って正しく理解される保証もない。ましてやドイツと日本みたいに大きな距離のある所だとますます遠く感じるもの。

それが亡くなった瞬間から空間的な距離はゼロになります。あの世とこの世は重なっているから。思いは直通のモロバレ。もちろん向こうからこちらを見ての話です(逆にこちらから見てあちらを分かるというのが霊能者さんなどではないでしょうか)。

そしてもちろん向こうの人同士も本音丸見え。

 

ということは。

この世でどれだけ外側に向けて体裁を取り繕って、礼儀正しい誠実で親切な素晴らしい人間のフリをしていても、その体裁を支えるためには自分の本心を無視し、身近な配偶者や弱い子供を平気で踏みにじって犠牲にするようなことも厭わない生き方をしてきていたとしたら。

 

分かりやすい実例:

ページが消えているようです | 算命学を使った人生戦略作戦会議
自分として生まれた以上、自分であること以外にすることなんて何もないのよ

 

死んだ瞬間その張りぼては雲散霧消し丸裸になる。化けの皮なんて剥がれる間もなく瞬時に消え去るというわけです。

本音を隠して嘘で塗り固めるとか、事実を隠蔽し体裁を取り繕うとか言うのはこの世でしかできないこと。この世でしか通用しないシステムだから。自分が本当はどんな人間だったか、自分の性根は腐っていたのかそれとも表に見せている姿と同じく綺麗に保っていたのか、そんなことがバレバレの空間に放り込まれるというわけです。そして当然、自分がしていたことは実は死んだ後の世界にいる存在たちにはずーーーーーっと丸見えだったということも分かります。

 

人によっては地獄ですね。

 

この記事で

自分の行いは必ず自分に返ってくる、私が身をもって知ったこと(2)
父は去年亡くなりました。 弟から逝去の連絡が来た時 私は・・・

 

我が父は亡くなっても自分の娘に何とも思われなくてまあ可哀想と言えば可哀想、でもそんなもんはたかが知れてる。本当に可哀想なのは死んでからあとの話だよといったのはここ。これが可哀想第一弾。

他人様にどう思われるかしか頭になく表を取り繕うだけだった人が、嘘の鎧を全部取っ払われた姿の本性丸出し状態であの世にぽんと放り込まれる。そこではごまかしは効かないのです。

 

えっ?

そんなしょーもない見栄を張るために、自分と血の繋がった弱い立場の子供をまるで人格のない駒のように右に左に勝手に利用し尽くし、それに関して謝罪も感謝も後悔の念もなく、自分はと言えば最も向かい合うべき問題から生涯面倒臭いと逃げまわり、人生丸ごと使っても家族との信頼関係も築けないまま終わったって!?ええええ一体何やってたの?それ正気?でそこまでしておきながら取り立てて誰にも評価して貰えてないどころか記憶にも残ってない・・なんでそんなしょーもないところに拘ってたの?一体何がしたかったの?

 

と向こうの世界に移動するなり周りにそう思われるでしょうし、自分でも思うでしょう。腹黒い残念な人間として残念な人生を送ってしまったなと。こんな人生送るために自分は地球に生まれに行ったのか。せかっくのチャンスだったのにと。

 

これが可哀想第一弾

 

ということはひっくり返すと、外も内もちゃんと偽りなく調整して、周りの人たちにはいつも敬意を持った対応をし、裏表のない真っ当な人生を自分なりに懸命に歩んで、少しでも生活レベルなり魂のレベルなりがUPしていればそれで万々歳なのですよ。大手を振ってあの世に行ける。

ていうかそれ以上のことなんてある?

 

死んであの世に行くということは、自分の存在形態が変わるということ。体から抜けて、時間と空間のある世界からも抜け出して、自分は本質だけになる。そして本質だけになった自分が別のステージに移動して、そこのシステムに合わせてまた自分を続けるということなのです。

 

形態やステージが何であれ、自分に恥じない自分でいたいものですね。

 

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でもあの世の可哀想はこんなもんじゃ終わりません。次は第二弾です。

(皆が皆可哀想になるわけではありませんよ!しょーもない生き方していた人は大変だろうねというお話です。)

 

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

これもフランス、Honfleurのウジェーヌ・ブダン美術館で観た作品。

見た瞬間に『 あ、ロートレックだ。』と分かる私も大概マニアだなと思ったよ。この絵がロートレックの作品なのではなく、この絵に描かれている左の男性がロートレックなのです。

 

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