前回の記事の続きです。
小学校の5年生くらいのころ私は母の命令で、公の場で全裸で泳がされたことがあります。そう、読み間違いではありません。ある時行きたくもないのに田舎の川に泳ぎに行こうということになりました。急に親が思いつく、外に見せるための『 素敵な家族ごっこ 』イベントです。誰もそんなこと望んでいないイベントが唐突に開催されます。
さて川に向かうその道中車の中でいきなり母は私に
お前は全部脱いで泳げ
と言い始めたのです。もちろん私は全力で抵抗しましたよ。でもその時の母の言い分は
田舎の川で泳ぐ子供たちは水着なんて着ない
そういうものなのだからそうしなければならない
絶対に裸じゃないとダメだ
でした。その時の頑なさと勢いは今思い出しても『 何かに憑りつかれてたのでは 』というようなものでした。
一方、なぜか弟たちは水着を着てもいいのです。
滅茶苦茶でしょう?
いくら嫌だと言っても母は頑として譲らず、車内で大声でキレ散らかし、いいから脱げと。
当時私は既に身長が161㎝ほどありました。
想像できますか?母親が娘の肌を出さないように隠そうとする話はいくらでもあれど、逆に大喜びで素っ裸にして嫌がる娘を見てほくそ笑む。そういう人間って本当に存在するのですよ。
Slave Market by Otto Pilny 奴隷市場・・・って当時の奴隷ですら洋服着せて貰えてるわ。
ではその隣で父はどうであったか。
私は普段一切父に助けを求めたりはしませんでしたが(無視されるだけなので)、この時ばかりは流石にお願いしました。水着を着てもいいでしょう?と。
しかし父は案の定いつもどおり、死んだ魚の目がくっついた硬直状態で
『 オカサンノ イウトーリニ シナサーイ オカサンノ イウトーリニ シナサーイ 』を壊れたレコードのように繰り返すだけ。そりゃあ私の肩なんぞ持とうものなら 調舒天将の全力一斉集中砲火 が自分に向かってくるのは目に見えているからです。そんなの冗談じゃない、と。
弟たちもいつもどおり、自分に火の粉が降りかからないよう明後日の方向を向いて薄ら笑いを浮かべているだけ。
なにこの地獄(失笑
不幸中の幸いは、川に着いたら誰もいなかったこと。
母の命令通り私は裸で水に入りましたが、母が別の方向を向いている隙を狙って大急ぎで水着を着ましたよ。そうしたらその数分後にゾロゾロ中高生の男子たちが団体で来たのですよね。本当に身の毛がよだちました。恐ろしかった。両親はもちろん知らぬ顔です。
でも有り難かったのは、その男の子たちの誰一人としてこちらを気に留めたりこちらを見たりしていなかったこと。恐らく私が裸で泳がされていたのは誰にも目撃されていなかったな、と少し安心したのを覚えています。
ちょっと話が脱線しましたが、私が今回書きたいのはこういう出来事の羅列ではありません。
そんなわけで父は残念ながら家庭の問題から逃げ回り、表では『 何の問題もなく仲のいい素晴らしい家庭でござい~』とばかりにごく普通の善き父を演じ、妻という面倒ごとは全部私に丸投げしたままでした。娘が目の前でどれだけ理不尽な目に遭い、もの凄い言葉で罵倒され滅多切りにされようと、自分に矛先が向かなければそれでいい。娘の気持ちや立場など0.01㎜も気にかけたことすらありませんでした。
つまり無関心ですよね。これ以上ない無関心。
父が娘である私との関係において、私の中に長年蓄積して行ったのは無関心。本当に心の底から相手をどうでもいいと思うこと。相手がどうあろうが気にもならないということ。
ここまでお読みになっても普通家庭育ちの人はこう思われることでしょう。
『 それでも父親としてしてくれたこともあったでしょう?』
あの人は私が人生で最も苦しくて困っていて究極につらい状態の時、私に面と向かって
お前のことはどうでもええんじゃ
と言い放った人です。
そういうことをずーっと(家族でなくとも)誰かにし続けているとどうなると思います?
これは私にとってもの凄く大きな学びとなり、身をもって『 本当にそうなんだ!』と理解したことなのでこの記事に書こうと思ったのですが。
父は去年亡くなりました。
弟から逝去の連絡が来た時
私は一切何も感じなかったのです。
だから何?とすら思いませんでした。
窓を少し開けてそよ風が入ってくる時『 わあ~!そよ風だ~!!』とか『 ぎゃー嬉しい!』とか『 やってられない、悲しい 』とかいちいち思いませんよね。あの感じだったのです。感じというより、感じがないまさに『 無関心 』です。
その時ハッキリ分かりました。
自分が人にしたことは必ず自分に返ってくるとはこういうことなのかと。
父が私の中に積み上げて来た『 無関心 』が纏まってゴロンと本人に帰って行った瞬間でした。
それは私が意図的、積極的、能動的に『 仕返しをしてやろう 』と思って何かをするといったようなものでは全くなかった。私自身はそこに存在するだけの状態で、父が私にしてきたこと(正確には何もしてこなかったこと)が私の意図とは無関係に勝手に束になって戻って行くという現象を目撃したという感じだったのです。
因果応報というのはあるだろうし、天に唾するものはその顔に自分の唾が直撃するのはそりゃまあそうなんだろうね、とは思っていましたが、自分がこういう形で経験するというのは予想外でしたのでちょっとある意味感心してしまいました。
まあ父に関しては、こんなもんで済んでよかったねと思う一方、可哀想にねとも思ったりします。自分の死に際に我が子に何とも思われない自分。仕方ありませんね、それが因果応報。いい学びになったのではと思います。いや、なっていて欲しい。
死んだ後のことに関しては可哀想にねと思うところもありますが、それについてはまた余力があれば書きましょう。
Entree du port Honfleur by Edmond Petitjean, 1908
これは最近オンフルール(Honfleur、フランス)のウジェーヌ・ブダン美術館で観てきた絵です。横が2m弱くらいある大きな絵なのですが、明るくて清々しくて滅茶苦茶欲しい!自分の部屋に貼りたい!と思った素晴らしい作品でした。オンフルールは港町で今も絵の形のまま港が残っています。いい絵だったなあ・・・
本日もお読みいただきありがとうございました。
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