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溢れ出す感謝は祈りでありそこには神が存在する、そして八百万の神の概念

 

本日の神の一曲。

 

はい、またスピチックで宗教の香りが濃厚な書き出しですが、当方大昔からある真言宗の寺の家系出身というだけで怪しい宗教に関わっているわけではありません。年支に初詣に行ったりお盆に墓参りに行っていた程度のごく普通の日本人です。今話題りの新興宗教なんてもっての(以下略

 

感謝せよ感謝せよと巷では言われますよね。うん、まあ悪いことではないよ。

ただ 感謝の届く先、目に見えないあっち側の世界というのは『 思い100%の世界、気持ち100%の世界 』なのです。もっというと本音100%の世界。この世では本音と建て前180度違っても使い分けられたりしますよね。Aと思っているのにBというとか。あの世ではそれは通じない。本音しかないんだよ。

 

なので感謝しますと言いそれらしく振舞ったところで、心の中で

は?冗談じゃないわ。なんでこんなもん( or 人)に感謝せなアカンねん

と思っていたら、その人のあっち側の世界におけるの姿は100%純粋に

は?冗談じゃないわ。なんでこんなもん( or 人)に感謝せなアカンねん

となります。ド直球でそれが世界の隅々まで瞬時に行き渡ります。

なので嘘はつかなくていいと思うんだよね。この世での誤魔化しにはなるかも知れないが、程度の無駄な労力。

 

ただ

こういうことや人、存在にはこんな風に感謝出来るよね、本当に有り難いよなあ

と心から思っている人がその感謝の念をふと漏らした時、そばにいる人が

なるほど、言われてみればそりゃホンマにありがたいわ

と気付く時はありますよね。そういう意味では感謝を表現するというのはとてもいいなと思います。

というか本物の感謝は伝播するのかも知れないね。

 

これはフランスのドーヴィル/Deauvilleにはためく日本国旗。日本も歓迎されているようでありがたいよね。

 

私が苦手なのは感謝の押し売りというか感謝の強制。

本当には思ってもいないのに感謝感謝という人たち。感謝が正しい姿勢とされるメインストリームでこう言っておけば自分も褒められるでしょ、良いことしてる・分かってる風に見えるでしょ、こう言っておけば神様は良きに計らってくれるんでしょ?的よこしまな心から小手先のスキルとして感謝言っておこうというポーズ。バレとるバレとる。そういう人ほど他人に感謝を要求する。くわばらくわばら・・・。

まあこう思うのも、私が感謝を強制されて嫌だった経験があるからでしょうね。

 

じゃあ私にとって感謝って何かというと、それは自然に溢れ出すもの。瞬時に発生するものといった方がいいかな。

対象物や対象となる人に触れた時に嬉しいという気持ち、喜びや幸せと同時に出て来る性質のもの。

あと『 ここには神様がいらっしゃるな 』とはっきり分かる瞬間、そして場所。

 

例えば今までの経験からだと

ぼんやりしながら初めてこの境内に入った途端に、いきなり一気に浄化されてめちゃくちゃ体が軽くなった日枝神社

日本の海の幸や日枝神社など
境内に入った瞬間に パンッ!! とみぞおちあたりから放射状に、一気に要らないものが浄化されたのです。一瞬でした。

 

最近ではモンサンミシェル、ここは遠くからでもその霊験あらたかさがまっすぐに伝わって来て、自然と頭が下がって感謝の念が湧き起こる場所

雄大な要塞、モン・サン・ミシェル
この要塞兼教会(兼かつては刑務所も)は元々ある修道士が寝ている時、夢に大天使ミカエルが現れて『 あそこの巨大な花崗岩の上にお祈りの場所を作りなさい 』と告げられたのが始まりと言われています。

 

そしてフランス、ブルターニュの Trestraou の海

 

ここでは海の水があまりに綺麗なので深いところをじーっと眺めている時

うわっ、ここ神様がいらっしゃるわ!

と分かった瞬間がありました。

綺麗だわ~とかぼんやり眺めている場合じゃない!挨拶挨拶!

貴殿が治めてらっしゃるこんな美しい海を訪問させて頂ける、そのご縁を頂き心から感謝いたします。

となりましたよ。大真面目に。

このあたり一帯の海を守ってらっしゃる神様。大型で豊かで強い神様。

この方がおられるからここの海はここまで美しいのか、この地域の人たちがこの海は大事にしていこうよ!と思って行動し続けてきたからそこに神様がいらっしゃるのか。多分後者だな、などと考えていました。

 

それらと比べても(私の場合ですが)段違いに感謝の念が湧き起こるのが素晴らしい演奏を聴く時。例えば一番上にYoutubeを貼っています。でも特に超一級の生の演奏を前にする時。本ものになると『 そこに神が存在する 』というよりもっとダイレクトに

その場全体が “ あの世の可能な限り素晴らしい部分 ” に完全に重なった直通空間

になるのです。

そうなるともう始まった瞬間から私自身が感謝の塊みたいになります。自分の内側から滔々と豊かに感謝の念が溢れ出して止まらず、それが世界の隅々にまで広がっていくのが分かる。

そしてそういう時の感謝の念というのは祈りだなと毎度思うのです。そこには畏敬と感謝以外何もない。神社仏閣でお祈りする時よりもっと本格的にダイレクトに神を前に感謝を捧げる、みたいな感じになるのです。

 

本当に感謝の念が湧き起こる時、そこには神が必ず存在します。

と書きながら気付いたのですが、日本には八百万の神の概念がありますよね。全てのもの、人、何なら言葉にまで神が宿っているよという教え。

あれは『 日本には神様がいらっしゃる 』と示しています。でもそれを曲解して『 日本は神の国、日本以外はまあ大したことない 』と妙な選民思想に走る人がなんちゃってスピ系の人に時々見られますがもちろんそれは間違いで。この世に神の手が届かない場所なんてないんだよ。

そして八百万信仰というのは、要は『 世界中どんな所にも神が存在することを見抜く能力 』なのではないかな。ここにも、あそこにも、この人にもこの言葉にも神が宿っているよね、有り難いよね、と自然に対象物・人に敬意を払う能力。習慣。なので八百万信仰と選民思想は真反対に位置する概念ですね。

 

などとブルターニュの美しい海を思い出してつらつらと考えていた週末でした。善き哉。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

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