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私が出会った天使の話(1)

 

本日の一曲。

もうね、この5:35あたりからの曲が私は好きで好きでね・・・これぞ神(バッハ&ソコロフ氏)の真骨頂なんだよ。最高。1990年モスクワでの演奏。

 

 

さて。

最近鑑定中に私自身のことを尋ねられて思い出した。

私はもともと外国に興味があったわけでは全くなく、当然海外移住なんて想像すらしてなかった。

小さい頃から親に、右に左にその場その場の感情だけで小突き回され蹴り続けられ

 

全身全霊全人生を賭けて

こいつの人生を思うがままに都合よくコントロールし続けて

死ぬまでその手柄だけ掠め取ってやろう

 

と鬼の形相で齧り付き圧し掛かってくる実母から逃れることができず

このまま親に寄生され続け生気を吸い尽くされながら死体みたいに生きて行くのかな、興味もない仕事について

と苦い思いを抱えて毎日を過ごしていた。

 

ただそんな中でも演奏の活動は続けていて、というより絶好調で、大学3年か4年の時に試しに受けてみた国際コンクールで優勝した。

お?優勝なんだ?だったら海外のコンクールを受けてみたら私の演奏はどう評価されるんだろう?

という好奇心から、そこで初めて海外に目が向いてフランスに行くことになる。

 

 

私は海外初めてのわりに『 ちょっと行ってきますわ 』くらいの感じだったのだけど、その時の周りの動きは凄かった。楽器関係の仲間たちが

 

佳代ちゃん一人でフランスにコンクール受けに行くって!?

大変、皆で協力しないと!

 

みたいな感じであれよあれよとあれこれお膳立てして頂く流れになった。

その中で、フランス語が分からない私が一人でフランスをうろうろするのは大変だろうと、知り合いの知り合いの知り合いの・・・といった感じで当時パリに留学していた同じ年の男の子がパリから南フランスまで同行してくれることになった。

 

たしかその時の結果は一次予選通過くらいで終わったのだけど、そういうわけでその彼には数日お世話になった。

その時も私は上に書いたように

親のつまらない虚栄心を満たすためだけに人生好きでもないことを真面目にこなして

父が母に小突き回され自分の意思を潰され、死んだ魚の目で毎日を過ごしているように

ただただ虚しく食い繋いで行くだけの人生を送るのだろう

大好きな音楽はその傍らで決して私の人生の中央に据えられることはなく

まあやっぱりいい職に就いてある程度のレベルの安定した生活を確保して、音楽は趣味程度が一番なんですかねえ、へへへ

などと思いもしないことを口の端から垂れ流しながら今後を過ごすのだろうか

と暗澹たる気持ちを抱えていた。

留学なんて1㎜も考えてもいなかった。

 

そのパリの彼は彼で出自から結構な苦労人でパリ生活も大変な様子だったが、これははっきり今でも覚えている。外国で本格的に音楽を勉強できるなんて羨ましいなあ、私にはでも(物理的に)無理だなあ・・などと話している時、南仏からパリへ戻る電車の中、話の流れで彼は何となくこう言った。

 

留学が難しいというのなら、たとえ1か月でも3か月でもちょっとヨーロッパに住んでみて

こっちでやっているコンサートに行ってみたり

こっちの先生にレッスンを受けてみるだけでも全然違うよ

それだけでも受ける影響はすごく大きいんだよね

 

 

それを聞いた瞬間に

 

 

そうなんだ!?

じゃあ行くわ。

 

 

と即答していた。

1か月くらいなら今バイトで稼いでいる分の貯金でどうにかなる。もしその地にご縁があるならそこに続けて滞在できるようになるだろう。ご縁がなければ帰国して資格を取るなり就職活動するなり、どうとでも道を開いて行こう。

 

瞬時にそれまでと全く違う方へバチーン!といきなり方向転換する、冲動×2の性質が大変良く出ていると今では思う。

いや、冲動は置いておこう。

これ以上のナイス決断ってある!?

いや、自画自賛もちょっと置いておこう。

 

 

もちろん彼は仰天していた。

 

えっ、決めたの!?

もう決めたの?今??

はやっ!!!

 

その後1度お礼に日本のものを段ボール一杯に詰めてパリに送りはしたけれど、彼とはそれ以降1度も会っていない。

彼はその後私と入れ違いで帰国して今も日本にいるんじゃないかな。というのも(これまた冲動のパッといきなり離れたりゼロにしたりしたくなる性質なのだけど)ある時全ての人間関係を清算したくなって、全員の連絡先が載ったアドレス帳を丸ごと捨てたことがある。本当に縁のある人であればまた必ず繋がるものでしょうと。

それ以降連絡は取っていない。

 

彼は私の目の前に現れた天使だったと確信している。

人生の決定的な分岐点に、ピンポイントで私の心のスイッチをこれ以上なく的確に押してくれた、そのためだけに私の目の前に現れてくれた天使。彼の一言があったおかげで今の私がいる。感謝してもし切れない。ありがとう、あの時私の前に現れてくれて。

人生にはそういう出会いって必ずある。皆にも。

 

彼には後にも先にも出会ったのはその時だけ。

 

***

 

とぼんやり思っていましたが思い出した!

違う。

彼には実は既に小学校4年生の時に1度出会っていたのでした。

思い出した、そうだった。

それについてはまた次回。

 

私が出会った天使の話(2)
天使との縁も異なもの味なもの。 どこで何がどう繋がるか分からないものですね。 あれは実は伏線で、その伏線がここでこんな形で回収されるのか~!みたいなことがあるのが人生。 人生は小説より奇なり。

 

私が初めて行った海外の街はセザンヌの出身地。

Haus mit roten Dach by Paul Cezanne 

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

コメント

  1. はじめまして、ブログの更新楽しみにしてます。天使とは、俺が私がお前を助けてやるとアピールしてくる人間というより、後になってあの人のおかげで私は助かったと気づき、それ以降は出会うことがない人かなと。天使の方も感謝も求めてないし、自分のしたことも忘れているかもしれません。ステキなお話を聞き、思いました。人との巡り合わせや運をつかむ力には、自尊心が必要なように思います。

    • 仰る通りだと思います。向こうは「あなたのためを思って」みたいな重いべたつきは一切ないのですよね。
      天使との出会いって振り返れば意外にたくさんある気がします。

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