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割と盲点:異次元との遭遇でものすごく重要なこと

 

Google AdSense から『 広告を自動化しませんか?』のメールがものすごいしょっちゅう来るのをずーっと無視していたのですが、食わず嫌いもどうなのか?と思い一旦1か月くらい試してみようと思います。鬱陶しいようでしたらまた1か月後くらいに外しましょう。

 


 

 

さて、前回の記事のちょっとした補足です。

これを見まして、ああ書き足さなくちゃと思ったのです。

ドイツでは3日に1度、パートナーもしくは元パートナーによって一人の女性が殺されています。

 

前回の記事では

自分と世界や次元が違う人との遭遇(2)宿命に害や半会・大半会を持つ人
この世では異次元不渡りの法がシステムに組み込まれていながらも、実は緩い。締めが甘いと言いますか、枠が緩いといいますか、例外がちょくちょく出て来る。これはきっと皆様もよくご存じでしょう。

基本この世では自分と同じレベルの人としか出会わないようになっている(異次元不渡りの法則)。

けれども異なるレベルの人と例外的に触れ合うこともあるわけで、それはあの世では絶対に起こらないこと。この世でしか出来ない経験。

なので全くの異人種・異星人とも言えるような人と縁を持つこともあって、そこで大きく自分を成長させたり、同じレベルに転がり落ちたりという独特の経験をできますよ。

 

という話をしました。

 

しかしそう聞くとつい『 その人とどう上手くやって行くか 』の訓練やそのお試しと考えてしまわないでしょうか。特に日本人は小学校に上がると同時に『 友達100人でっきるっかな~?』からスタートし、和を以て貴しとなす社会に生きているのでその傾向が強いかも知れません。もちろんそれもあります。

周りと自分を上手く擦り合わせて、和合協調の中で成し遂げる何かは大きい。特に自分と全く異なる存在と組んで大きなことを成し遂げられれば、それは両者にとって互いに『 この人(わけが分からないが)すごいな 』と心から認められる素晴らしい経験になります。自分の世界の扉が更に一つ開いて、自分の世界まで広がる。それはとても理想的。

 

けれどもそればかりじゃないからね!以下めちゃくちゃ重要。

 

『 自分が変われば相手も変わる 』とよく言われます。

身近な人間関係で悩んでいる人、その中でも特に真面目で素直で心優しい人ほど『 そうか、自分が変わればこの苦しい関係も改善されるのだな 』とものすごく頑張る。誠心誠意それをやってみるのは悪くない。

でもいくら頑張っても何年続けても、その苦しい関係が改善されないどころかどんどん悪化していく場合も多いでしょう。

 

『 自分が変われば相手も変わる 』のは最低限、相手も自分と同じ程度の誠意を持っている場合のみです。

こちらが頑張ってみても何も変わらない、苦しい関係が続く場合は、相手が自分の善意につけ込み自分をいいように食い物にしていないかを疑った方がいい。

 

『オマイがわしに合わせればよろしい。わしはわしのままでいいのだ。』というような人には要注意。

Cover Design for Ali Baba, 1897 by Aubrey Beardsley

 

『 人は誰でも誠意をもって話せば分かる 』という人がいます。そういう人は今までの人生で “ 話せば分かる人 ” にしか出会ってきませんでした、話せば全てどうにかなりましたよ、と告白しているだけ。そんなものを真に受けていては、自分の人生が魔に食い荒らされます。

 

そこでは和合、融合、協調の経験ではなく、あなたはどれだけ自分を大切に出来るんですか?を天から試されている。だってそれはものすごくものすごく大切なことだから。

自分を大切に出来ない人が誰かを大切に出来るなんて、何か大切な役目を負ってそれを成し遂げられるなんて、そんな都合のいい話はないのです。まず自分の足場を築く。そうでなければ転がり落ちて来る人を助けられない。誰かと協力して何かをすることも出来ない。

 

周りは和合を強く推し『 あなたさえ頑張れば、我慢すれば 』を期待してきますが、それを振り切ってでも自分を大切にする方を選べますか?

その不協和音の元である関係を解消して、勇気をもってその人や世界から離れることができますか?

そのどう頑張ってもどうにもならない人間関係、それは友人知人より親族・家族といったように身近であるほどそこから離れるのは容易ではありません。それでも私は私が大切なのだと胸を張って、自分を守り愛するということを選択できますか?

 

を天に問われている。

 

それを続けても不幸にしかならない関係から離れる経験。練習。そのスキルを身につけること。異次元のものに流されず、どこまで自分を守り、大切にすることができるのか。それを課題に生まれてきた人も沢山いる。

そのための宿命中の害であったり半会・大半会なのかも知れません。(離れるという意味では冲動もそう。)

 

自分を犠牲にしても他を助けるスーパーヒーローの物語が美談とされる、その洗脳もあるでしょう。真面目な人ほど自分を犠牲にして輪を保とうとし、ミイラ取りがミイラになってしまう。挙句の果てには上記のように相手に命を奪われてしまうところまで行ってしまうこともある。

 

これは盲点だけれど、離れるということも実はスキルの一つ。これは違う、危険だと思えばパッと離れても何も悪くはない。自分を滅ぼすまで頑張っても誰も何も救われないからです。

ラテン語の古い諺『 天は自らを助くるものを助く 』も実はこのことを言っているのではないかな、なんてよく思うのです。

異次元と遭遇したら和合して成長するもよし、離れて成長するもよし。どちらも同価値、どちらもOK。

 

A Wooded Path in Autumn by Hans Andersen Brendekilde 温暖化が進んで秋が長くなったような気がしますよ

 

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