自分の気持ちをもっと大事にして欲しいと思う。
過去にぞんざいに扱われて深く傷ついたこと、意に沿わない理不尽なことばかり強制されて凄く辛かったこと、あたかも自分には人権なんてないかのように存在を無視されてめちゃくちゃ嫌だったこと。
まあ大したことじゃないんですけど
とさらっと流そうとする人は多い。流してしまう人は多い。
それは強さではない。逆だよ、弱いから一番痛いところから目を背けて逃げてしまう。
でもそこから目を逸らしてしまったら、その時大真面目に傷ついた、辛かった自分の本当の気持ちはどうなる?誰にも『大丈夫?』と心を配って貰えなかった、『あなたは何も悪くない、おかしいのは奴らだろう』と肯定して貰えなかった、深く傷ついた心は取り残されたままになってしまう。それを
まあ大したことじゃないんです
と大丈夫なフリをするということは、自分自身が自分のその本当に大切な気持ちを無視することになる。誰にも心を配って貰えなかったその気持ちに、自分も心を配らず、見捨てることになる。
本当にそれは大したことなかったのか。
そこから何年たっても目を逸らしなかったことにする、大丈夫なことにするのは、何も癒えていないからではないのか。
A red skirt, 1901 by Picasso
自分が自分を裏切ってはいけない。自分の味方であることを放棄してはいけない。
気持ちや心というのは目に見えるものではないだけに、多くの人はぞんざいに扱いすぎなのではと思う。放っておけばそのうちまあ何とかなるんじゃないの?と。実際大したことなく、放っておくだけで完全に忘れるような類のものもある。それはそれでいい。
けれども後を引くほど深く傷をつけられたのなら、いい加減自分が自分の味方をちゃんとして怒れよと思う。そこがスタートだろうよ。自分が本気で自分の味方をせずどうするんだ。『その程度のこと・・』と誰もまともに取り合ってくれないからといって、自分まで自分の気持ちを見捨てる必要はない。どこかで聞き齧った『許し』みたいな綺麗ごとに逃げてんじゃねえよ。
本当の『許し』というのは、本気で自分がちゃんと自分の味方をして、理不尽に無下に扱われたことに徹底的に怒り、ドロドロの感情を認め、なんなら脳内でそいつの首根っこを引っ掴んで溶岩煮え滾る噴火口に何度も叩き込んで、思いっきり恨み呪い倒し、黒い自分を味わい尽くし、それを散々やり尽くして飽きた頃に『もうどうでもええわ』となる、気が済んだ状態が本当の『許し』。
それをせず上から蓋をしただけで
もうあれは過ぎ去ったことです~
あ~んなことがあっても許せちゃうアテクシ・ボクチンって大人~♪
と綺麗に出来た人のフリをしても、傷ついたその心は消えないし癒えない。それどころかどんどん傷は深く、拡大して、そのうち抑えきれない嵐となって自分を飲み込み始める。
だって一番味方であって欲しかった自分に裏切られたのだから。そして今でも裏切られ続け無視され続けているのだから。苦しい気持ちはそこに今でもあるのになかったことにされ、それに耐えられないその苦しい心は何とか “自分自身” に気付いてもらおう、気を引こうと苦しさをアピールし始めるから。『私はまだここにいるのですよ、全然大丈夫じゃないのです、回復するのにあなたの助けが必要なのです』と。
全ての問題はここが原点だ。
自分の気持ちをぞんざいにしか扱えない人が自分以外の誰かを本当に大切に扱えるなんてことは有り得ない。自分が自分に大切にされない苦しさを抱えている人は、自分を丁寧に大切に扱える人を嫉妬し憎み始める。その不自然さからくる怒りは『自分を大切にしないこと』を周りに強い始め、伝染病のように拡大して行く。
算命学でよく出てくる家系の因縁だってつまるところはこれ。
自分を大事にしてもらえなかった、そして自分を大事に出来なかったことへの不満であり恨みが代々積み重なって濃縮され現象化されるまでに巨大になってしまったもの。
私は、これを読むあなたにはあなたの気持ちを本当の意味で大事にして欲しいのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Hesitation by Juliana Kolesova
コメント
大事にされなかったという思いを親や上司にぶつけたり、復讐できる人は毒親にも毒人間にもならないと思います。自分が大事にされなかったので、他人も大事にする必要はない。いや、お前らも不幸であるべきだという呪詛で我が子も部下も潰す。これが機能不全家族やブラック企業の本質なように思います。
本当にその通りですね。
大事にされなかった怒りを上のもの、強いものにちゃんとぶつけられる人は健全です。
憂さ晴らしに弱い立場を虐める人がどんどん猛毒になって行きます。その集団がブラック企業ですね。