昨日ウィーンフィルを聴きに行ったのですよ。
え、またコンサート?
って感じですが、まぁ聞いて。
実は昨年コンサート情報を見ていた時、行きたいコンサートの本命はこっちで
先日のヤン・リシエスキ氏のピアノは
こんなんもあるんやなぁ
じゃぁ行ってみようかな?
程度の、ついでに予約したコンサートだったのです。
何故今回のウィーンフィルが本命だったかと言うと
ウィーンフィルで
ベートーベンのピアノコンチェルト2、3、4番
という 超絶贅沢プログラム だったからです。
そりゃ速攻でチケット取るでしょ
感想:
とてもえらい教授大先生 ( 何なら学長 ) のありがたい模範演奏を皆で聴く会
という感じでした。
完璧なのですよ。
当然ことながらミスなんぞ一つもありません。
非の打ちどころなく完璧 で
圧倒的な正しさ、まごうことなき正しさ
が全面に押し出されている舞台で
ひたすら確実で完璧で正しい
言うならば
この人絶対真ん中 比肩・健禄 (=貫索・天禄 ) やわ
何なら2柱が 比肩・健禄 かも知れん (※)
と確信を持ってしまうような
何と言うか
実に実務的で
ミスなく
完璧さでは右に出るモノはなく
確実で
コンサート企画者は安心してこの人のコンサートを開催できるだろう
何故なら絶対大きく外すことはないからだ
この人なら大企業の会計監査も一人で隅から隅まで完璧にこなすに違いない
まあ学長やしな (違)
的な。
私はベートーベンはめちゃくちゃ好きなのですが
思い出したわ。
私は昔、敬愛するグルダ爺さんの演奏で初めてベートーベンにドはまりしたのですが
それ以前はいくら聴いても
ベートーベンってそんなにいい ?
みたいな感じだったのですよ。
あの感覚!
甦った! ( 甦らなくていい )
特にコンチェルト3番の最終小節
もうめちゃくちゃ大好きで、はっきりとこれを聴きに行ったようなものなのですが
始終
↑ こんな感じやったわ、私w
いや、もう一度言いますが完璧なんですよ?
素晴らしいんですよ、どう聴いても。
そこに1mmも異議はない。
そりゃ世界最高峰のオーケストラと学長 ( だから違 ) やもん。
でも何と言うか
とても辛口のシャンパン飲んでるみたい とか
完璧な貸借対照表眺めてる時の気分 とか
いつも完璧な日本の役所で必要書類を揃えて、一応確かめたらやはり全部完璧だった
とかああいう感じ。
やっていることは
オーケストラとベートーベンのピアノコンチェルトをコンサートで上演という
究極的芸術 なのに
こちらが受ける感じが猛烈に
熟練による手慣れた卒なくこなされる実務作業
いや、違うんだ。
こうして文章を書いていても、二言目には
非の打ちどころのない完璧さ、正確さ
という言葉が出て来るほど素晴らしかったのですよ?
何度もフォロー
でも
何とも言えないこの感覚。
これ以前にも感じたことあるわ・・・
と思って記憶を辿っていくと
昔何度もウィーンフィルを聴いた時!
そうだ、あの時にも同じ感じを受けたんだった!
ウィーンフィルみたいなビッグネームで
学長ソロで ( もうこの際学長でええわ )
私が大好きなプログラムで
チケット結構な値段して
演奏に大喜びして感動するはず
が
全くそうならなかったのに、何とか理由つけて良かったことにしようと無意識に思ってる。
この不自然、無理やり感。
皆が感激しているのに、自分はこんな → で冷め冷めで、感覚が変なのかとか。
いやいや、私が常日頃から行ってること、自分で覆してるやん!
自分の感覚を大事にすること。
どれだけ周りが当たり前だと思っているようなことでも
それを当然のこととして自分の上位に置かないこと。
自分を何モノかに下位付けしないこと。
自分の感覚はストレートに尊重して、それを曲げて嘘つかないこと。
そう、明らかに私には学長の演奏もウィーンフィルの演奏も全く合わなかった。
その証拠に、私は合わない音楽を聴くと調子が悪くなるのですが
今現在、エネルギー最低レベルまで下がってる。
それでもありがとう、学長!
ありがとう、ウィーンフィル!
もう聴きに行くことはないかも知れないけど、でもありがとう!
(※)
学長の命式、比肩・健禄 全然ありませんでしたわ。
こんな感じ。
学長が喋ってる動画があったから貼っておきます。
雰囲気、説明の身振り手振りが如何にも学長っぽいので見てみてね♪
Rudolf Buchbinder、ルドルフ・ブッフビンダー氏 ( オーストリア )
コメント