昨日の記事:
私にとって特に クラシック音楽 は
この世を虚構の幻の世界とした時
本来全てのものの本質そのものである、あっち側の世界に通じるワームホール
というか
あっち側に通じるどこでもドア的な存在
になりうるものなのです。
というお話からの続き:
以下、あっち側の世界の話が混ざりますので
分からない人にはかなり訳の分からない話 になりますし
逆に分かる人には分かりすぎる話 になります。
やっぱりそうだと確信したことと、多分そうだなと思うことの2種類あるので
分かったことをパラパラと書いて行きます。
コンサートが始まって早い段階で
演奏中のピアニストの奥に、でも重なるように私が確かに見て触れたものは
ブラックホールが全てを吸い込み消し去るものであるならば
私が見た 「 それ 」 はその正反対で
全てがそこから生まれて来るような球状の何か でした。
薄い灰色なんだけど、周りはぼんやり白く発光しているような球状の空間。
そして私は遥か大昔から 「 それ 」 をよく知っていたことを思い出し。
実は 「 それ 」 をずっと変わらず心の底から大切に思い、とても愛していて
逆に遥か遠くの未来でも、私はずっと変わらずそれを大切に思い愛しているのを思い出したのです。
何故なら、私の本質そのものが
実は 「 それ 」 に向かう愛そのものだったからです。
というと途端に似非スピ臭が出て嫌なのですが、そうとしか表現のしようがない。
私が今の人生において、心から大好きで大切に思うもの
例えば
私の子供たちやクラシック音楽
レーピンやクリムトの絵画は
「 それ 」 の欠片がこの世において、この世に馴染む形で顕現したもの。
そして
おそらく、私自身もその 「 それ 」 の欠片であること。
もう一つ分かったことは
時間は過去から未来へ一直線に流れている
と同時に
実は
今と言う瞬間に過去も未来も、全ての時点が折り重なって存在している。
そしてそれはこの世に限る話ではなく
あっち側の世界も当然、常に重なって存在しています。
次回に続く
Portrait of the Composer Anton Rubinstein, 1887 Ilya Repin
これはレーピンの描いたロシアの作曲家、ルビンシュタインですが、昨日のコンサートには彼の曲もありました。
そしてプログラムにこのレーピンの絵が載っていて大喜びの私。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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