昨晩目が覚めて寝られなかったので瞑想していました。
自分に静かに焦点を合わせてみると、この時の
いい感じの振動がまだ体の中にじーんと残っているのが分かって嬉しくなりました。
何といいましょうか、私はいつも気が急いて、いつもあれもこれもと走り続けている人生で、今もやりたいことは沢山ありながらも思うように形にするのに時間がかかるなあ・・・という状態。もっと頑張って!もっと早く!といつも思ってる。でも落ち着いて考えると、これって私の命式そのままで、実に私の本質を生きているなと。
だから良い音楽から頂ける美しくて静かな、心地のよい振動は、それをいい感じでいなしてくれてありがたい。
だからといってこの命式で
もう来年波平さんと同じ年だし
全てやり尽くして叶い尽くしたし、あとは隠居して静かにのんびり茶を啜る生活じゃのぅ♪
とか言ってると大変マズイのですよね。アカンアカン、想像しただけで悪寒が走るわ。
逆に全てやり尽くして叶い尽くして完成してしまったら、私の場合生きる意味がなくなってしまう感じの命式なのでね。
と書いていて思い出したのですが、算命学には『親剋型』というのがあります。この『親剋型』の条件に当てはまる子供は親と運がシーソーしますよ、というお話なのですがうちの子3人ともこれ。こういう子供というのはその運が親の運と素直に融合し辛いのです。小さくともその運が親の運から独立しているとでも言いましょうか。
そして『親剋型』と一言で言ってもシーソーの度合いはその命式によって変わってきます。
また何がどうシーソーするのかに関しても
子供の健康状態が良ければ親の社会的地位・名誉が下がる とか
子供の健康状態が芳しくないと親の財運が上がる とか
出方は最低でも10通りあるのですが、じゃあ一つ屋根の下で暮らしている場合どうすればいいのよ?となりますよね。
これはもう最終的には、親側が日々努力を極限まで積み重ね、最善を尽くし、後は全て神に委ねるといういわば『果報は寝て待て』作戦に尽きます。
精神性を上げて行けと。
子供のお尻を叩いてどうにかするんちゃうぞ、親側が頑張るんやぞ?と。
『果報は寝て待て』は別に とりあえず何もせんでもええわ、寝とこ♪ という話ではありませんのでね(笑)
精神論っぽいですよね。ある意味そうです。
でも よく分からんけどとりあえず頑張れ!みたいな 昔の体育会系脳筋根性論ではない のが算命学の良いところ。
どちらの方向に注力し、どんな時期に何を注意すべきかといったような大まかな指標は示されているわけです。そこから大きくズレなければ大丈夫。
そして昨日のお話
とも関連するのですが、子供の命式から母親の宿命の形が窺い知れて、私は自分で
やっぱりそこでもがきますよねー
というのも分かっている。当然のことながら私の宿命にばっちり合っているので、きっと私は死ぬまで
うおおおおお~あれもこれも~!!
とばたばた忙しなく生きていくのでしょう。
いいのいいの、それでいいの。だって普通じゃないんだから。普通性0%の命式なのだから。
めでたしめでたし。(←?)
本日もお読みいただきありがとうございました。
それでも儂は学ぶ I’m still learning, Francisco José de Goya y Lucientes 1746-1828
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