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なかなか厳しい「徳」のお話

 

を積もう」思てやっとる時点で徳積みから離れて行っとんねん

 

と原典算命学大系には書かれております。

ぐぬぬ、そうなのか。

 

まーた原典の話かい!と思われそうですが、ハマり過ぎて読むのが止まりませんでね。

この間のこのコンサートの日も

 

神のコンサートに行って参りましたが・・
半年以上ぶりの待ちに待った神(Grigory Sokolov / グリゴリー・ソコロフ氏)のコンサート、行って参りました。 Sieh dir diesen Beitrag auf Instagram an Ein Beitrag getei...

 

行きの電車で、会場について自分の座席で演奏始まるまで、休憩時間に、そして帰りの電車と隙間時間にはずーっと読んでるくらいへばりついておりまして、既に中毒です。

 

それはともかく、の話。

どこからこの徳の話が出てきているかというと、天中殺。

 

年運天中殺は別にビビらんでもええよ、ただ宿命と合っていない不自然でしんどい生き方をしてたら

もうええ加減そっちの道はええんちゃいます?

という天からの修正を促すお知らせ現象が出てきますよ

 

とは私が鑑定でよくお話しすることで、またこのブログでも書いてきたこと。なので宿命と環境を一致させることがまず第一ですぞと。

 

ただそんなもんは正直小手先の改良方法やねん、というのが高尾宗家。

 

ほなどないしたらええんですの?

 

で出て来るのが、上に書いた

人生行程で人徳を身につけた人は、天中殺だろうが何だろうが運命的に大変なことにはならないのですよと。

 

「徳」の本質は人間性の魅力にあるわけで、より多くの人間の心を「ひきつける力」であると言えるでしょう。

(中略)

ところがそのような魅力を人間自身の努力によって身につけようとしても、徳を目的とした努力をすることができないところに厄介さがあるのです。もし徳を身につけようとしての努力をしたとしても、生涯かけても備わることはありません。

なぜならば「徳」というものは直接的に形成されるものではなく、常に間接的に形成されるからであります。

 

だからその徳というのは皆が想像するような、坊さんが精進料理食べてひたすら滝に打たれてりゃええみたいなもんでもないんやぞ?この世の俗世間において人々の間で活かすことができひんかったら、ホンマもんの徳とは言えんねん

的な話が続きます(意訳中)

 

 

 

 

とここで皆様お馴染み、十大主星の世界です。持って生まれた能力です。

ここでは以前私が作った図を再利用しておりますので、赤い矢印は脳内消去してご覧いただけると分かりやすいかと思われます。

 

皆様この10ある能力の星の内、代表として必ず5つ持って生まれるわけです。それを使えばそこが魅力になる。

 

ただし!

 

そっか~持ってる星だけ頑張って使ってればいいんか~♪やないぞ?

とは 魅力=引力=五徳の信つまり中央やねんから、そこを出力最大にしようと思ったら

 

 

東西南北全部の能力をバランス良く磨き上げとかなアカン。

 

(そうでなければ)到底徳の世界までは行き着けないのであります。

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいや、ちゃんと見よう(笑)

 

 

徳というのは表に華々しく現れて脚光を浴びるような性質のものではなく、地味に淡々と長い時間をかけて身につけていくもの。そしてその徳の入り口が才能であると。

 

ざっくり過ぎるほどざっくり一部を書きましたが、本当は本の中でまだまだ徳の話は続きます。ご興味おありの方は国会図書館へGO!

しかし深い、深すぎる・・・そして面白すぎるぞ算命学。やはり毎度そこに着地するのであります。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

春ですねえ。

クロード・モネ『サッセンハイムのチューリップ畑』1886年

 

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