ワタクシこの期に及んで初めてタピオカティーにチャレンジしてみました。 ←おっそ!笑
いや、興味がないわけではなかったのですが、あれを飲んでいる若者たちの手にあるカップがドえらい大きくて(500mlとか)、あんなもんどう考えても飲めないだろう・・と思っていたのです。が、長男が試してみたいというのでお店に行ってみたところ330mlだったか、小さめのがありました。
美味しかったですよ。しかし330mlでも長男と半分こしてまだ余るというくらい2人でお腹一杯になりました。あれ一人でいける人はすごいわね(笑 その後長男は家で自作した方が安いってことで、タピオカパールを買って如何に美味しいタピオカティーを作るかを研究しています。タピオカがお餅っぽくていいよね。
とまぁその長男なのですが、命式に母親の星が一個もありません。玉堂・龍高どころか、蔵干を地の果てまで穿り返しても欠片もないのですわ。この意味について時々考えるのです。
これは早い話が、母親である私と縁が薄いということ。八門法の図でも北がゼロ、申酉天中殺なのに生月中殺なので家系とも縁が薄い。上の世代からの援助は望めないということ。その上月干支と日干支が天剋地冲と来たよ、全く。
ここで私が
子供なんかホンマは欲しくなかったんや~子供育てるの面倒臭いしむしろその存在が邪魔やし、ああホンマに鬱陶しいわあ
系の毒親であれば、間もなく縁が薄くなるというのも道理に適いますよね。そりゃあ子供もさっさと逃げたくなるだろうし縁は薄くなるわ。納得。
でもそうじゃない。
私は子供たちのことはとても大切に思っていますし、その旨毎日直接鬱陶しいくらい伝えていますし、仲もいい。
Mother and child 1900 by Charles William Bartlett
今まで見て来た命式で母親の影も形もない人というのは、やっぱり現実世界で縁が薄くなるような何かが起こっていることが多いです( 100%ではない )。早くに親と死別、親が離婚して縁遠くなった、養子に出た、もしくは上の例のように頭のおかしい毒親だったので縁を切ってるとかね。
それを考えるにあたって、何となく心当たりがあるのです。未来のことなので心当たりがあるというのも変な表現ですが。
これに絡んでくるのがもう一つもの凄く気になっていることで、それが下の双子の大運二旬目に天剋地冲が出ていること。数年ズレて長男の大運にも冲動が出ること。そしてそのあたりに夫の年運にもあれやこれや出るのですが、何よりも私の年運と大運にあれこれ過酷な条件が重なりすぎ、という時期が来ます。多分これやねん。どこをどう細かく見て行っても、指さされてるのは私。
ただ、私は常々書いているように長生き願望は皆無です。0gの0㎜。今でも十分恵まれた毎日を送っていますが、更に例えばトランプさんくらい大金持ちになって、遊んで暮らせて、絶世の美女になって若返って100%の健康体にもなれまっせ!と言われても長生きだけは勘弁して欲しいと思うくらいです。
なのでその時期に私個人に何かあっても、私はまあ別にええわ。
問題は子供たちだよね。(あれ?夫は・・?笑)
仮に私に何かあったとしても長男はそういうわけで、宿命と環境が一致することになる。ふむふむ。
しかし双子たちは。
実は定位置(北)に燦然と輝く玉堂星を持っていて、しかもその玉堂星が出て来る干支が癸巳。癸巳である私と今度は逆に縁が深い。なのであまりに若い頃に母親である私と離れると、宿命と環境のズレが大きくなりすぎて大変よろしくないのです。人生後々まで影響が出る。それはアカン。
でも命式と後天運を並べて読み込んでいくと、多分双子たちがまあまあ成人するくらい( ドイツの成人は18歳 )までは何とか今の形態を保てそう。そのあたりまで行ければ、上の子はもう親は十分、後は自力で自由に生きて行こ♪となっているはずですし、下の子たちも子供時代に得るべき必要最低限の親からの愛情は得られているはず。
などと色々書いてはいますが、結局じゃあどうすれば?という話になると、持っている宿命を生き切るという他には何もないのです。それ以外にないし、それさえ出来ればもう十分。それさえ出来ない人で溢れ返っているからこの世はこんなカオスなわけで。
ということを知っているので、命式を読んでも特に悲しくもなく、焦るでもなく、大喜びでもなく、淡々と日々できることを誠心誠意やっていくのみなのです。
People sitting on a bench in Bezuidenhout, The Hague.(1882) by ゴッホ
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