天剋地冲と宿命中殺と異常干支は現象の出方が同じだ、という一文が高尾宗家のご著書にあります。
これが私は本当によく分かる。体感として経験としてよく分かる。本当にその通りだなと。
11月は私は冲動が重なり過ぎてまあ天剋地冲の時期みたいなものでした。その時の苦しさは数年前の年運天中殺の時のそれととても似ていたのだけれど、その時期に思ったのです。
天中殺では神は味方してくれない・天中殺では天は味方してくれない とかいうけれど、それは 違う と。
そこで言う 味方してくれる・してくれない の基準は多分にこの世的、世俗的、近視眼的なのだと思う。
仕事が上手く行くといいな、こんがらがっていた人間関係が良い感じで修正されるといいな、若い可愛い子にモテたらいいな、金欠が解消されて何ならお金持ちになるといいな、作品がヒットして有名になれるといいな、云々・・・
この世的便宜を図ってくれるか否かという視点の話。
まあこの世に生きている以上そうなのですけれどね(うんうん、私もそりゃそう思う)。
思うように見通しが立たない天中殺のイメージ
The familiar objects, 1928 by Rene Magritte
でも天が見ていること、神様が見ていることってそんな(現世で生きている私たちにとっては重大事項ではあるには違いないのだが)些末でしょうもないところじゃないんだよね。もっと長~~~い目で私たちの魂が満足できるか?の観点から色とりどりのことを経験できるように設計されてる。
11月は結構辛くて精神的にもネガティブになったりしていたのだけれど、そんな真っただ中で急に
私は自分の人生夢中で味わい尽くしてるな
と思った時があったのです。
すっごい苦しい時だったので
いや、どの辺が?
と即座に自分からツッコミが入りましたが(一人二役)
実際影がないと光は分からない
冬の寒さが分からないと夏の太陽のありがたさも分からない
夏の焼け焦げそうな暑さがないと、冬の凍てつき切れるような寒さと影のある美しさは分からない。
人生ベターッと、ずっと思うがままのハッピーハッピー大成功♪カラー一色だと、まるであの世と同じで一体何しにこの世に生まれたか分からない。
そう考えると、例えば天中殺のように運気的につらくなりがちな時期も、神は我々を見放しているわけでも、わざとドツボに突き落としているわけでもなく、経験すべきことをちゃんと経験させてくれているのだろうなと。
そういう形で愛が現れる時期なのだろうなと思ったのです。
うん、多分合ってる(笑
どうせ生まれてきたのなら、酸いも甘いも味わい尽くせ。
Rue Halevy, Seen from the Sixth Floor, 1878 by Gustave Caillebotte
本日もお読みいただきありがとうございました。
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