ドイツの元サッカー選手でドイツ代表チームのキャプテンでもあったミヒャエル・バラック氏の18歳の長男が事故死という記事。まずは心よりご冥福をお祈り申し上げます。
殆どの親御さんにとって子供を失うこと以上に辛いことはないと思う( ただし毒親はこの限りに非ず )。
18歳まで何だかんだ愛情込めて育てて来た大切な子供が突然いなくなる。何という地獄の苦しみだろうか・・・とニュースを見て暗澹たる気持ちになってしまった。
バラック氏がまだ現役で活躍していた頃、息子君たち3人と家の庭でサッカーをしているという記事を見てすごくいいなあと思ったのを覚えています。
私は算命学を仕事にしているのでやはり何でも算命学的に考えるところがある。算命学で死期が分かるなどという人がいるけれど、あれは違うと思う。もし生年月日でそれが分かるなら、同じ日に生まれた人たちは同じ日に一斉に亡くなることになる。でも実際は人生というのは、持って生まれた宿命と自分で変えられる部分(選択・行動)の掛け合わせで紡がれていくものなので、同じ運気や能力などの枠を持って生まれても現れて来る人生は異なってくる。つまり算命学をしながら死期が分かってしまう人というのは、算命学とは別の能力で読んでいる人なのだろうと思う。
人の運気、特に身体的なものや物質的なもの、つまり有形世界の現象に関しては2代前の先祖、つまり爺さん婆さんの生き方が大きく左右するという説もある。
確かに人間は一人で生きているわけでなく、家系が一つの有機体として全体のバランスを取ろうとする、というより自然界からバランス調整が入るようなところがあるから、2世代前と言わずもっと前の存在からも影響は受けている。それに関しては、バランス調整の役割を今世で頑張って果たしましょうとしか言いようがない。それは実際人生において大きな課題だから。
ただ、何か悪いことをしたから神や自然界が天罰を与えて大病を患わせたり、自分や家族の命を持って行ったりするということはないと思っています。うん、ないよ、断じてない。誰かに何かされたら仕返ししてやろうと思う、神という存在があるならきっと自分たちと同じように考えるはずだという発想は、実に人間的なしょぼいレベルの的外れな空想にすぎない。
これは算命学を勉強すれば分かると思う。この世界はあくまでバランス。右に行ったり左に行ったり、上がったり下がったり、陰陽のバランスを取りながら常に変化して行く。
あまりに宿命に合わない生き方をしていると心身ともに調子が崩れたり、極端にお金が回らなくなったりなど『 そっちじゃないですよ、そろそろ修正した方がいいですよ、のお知らせ現象 』が出ることはある。皆気付かないだけでしょっちゅうある。
しかしこれが決定的に命に関わるような病気や事故である場合はお知らせ現象とは全く別次元の話であり、どう解釈すればいいのか正直私にもよく分かりません。そして正確なところなんて分からなくていいと思う。結局人間にできることというのは宿命と後天運を理解し、自分にできる限り精いっぱい生きること。それで十分、間違いはない。何か人生を揺るがるような大事件が起こっても、それまでにできるだけのことをしてきたのだから何も自分のせいでそうなったというわけではないと、そう考えればいいと思う。むやみに自分を責めることのないように。
とはいえ耐え難い苦しみが襲い掛かって来ることもありますよね。
最近、ドイツでご活躍の( 私は聴いたことがないのでニュースで見ただけ )ドイツ人と日本人のミックスの若い女性ピアニストが多発性硬化症を患っていると判明したらしい。これじゃまるでジャックリーヌ・デュ・プレじゃないか、と全く関係ない私がショックを受けてしまった。
多発性硬化症といえば、数年前女優のセルマ・ブレアが罹患していることをカミングアウト。その時に『 私は大丈夫です。大丈夫。』と気丈にSNSでファンに伝えていたのを見て、とても苦しいのだろうな・・・と思ったのを覚えています。
何故私が、今なのか?と考えざるを得ないと思う、自分がその立場に立ったならば。けれども結局どれだけ考えても分からない、証明しようのないことに関しては、怪しい霊能者の御託に縋ったりするのではなく、自分が生きやすい説を取るべきだと私は思っています。こう考えれば私はベストを生きられると思える何かでいい。私がこのサイトに自分に関して書くこと、例えばチーム佳代の話や私が掴んでいる目に見えない世界の話も、自分ではそれが本当だと分かってはいるけれど対外的に証明は出来ない。だから誰かに『 インチキだー』と言われれば、『 そうかも知れませんね 』としか言いようがない。でも私は私の信じる(というか知っている)ところをベースに、出来る限りのベストを尽くして生きるのだと思う。
まとまりがなくなってしまいましたが、今大変な状況を生きている人も全てを自分のせいだ!私が悪いことしてダメだからだ!と責めずに、周りにだばだば弱音を吐きながらも強く乗り超えて行かれますように、と心から思っています。
Der Hafen von Zaandam by Claude Monet
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