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メスト・エジル Mesut Özil氏のドイツサッカー代表離脱表明(2)

 

(*´∀)昨日からの続き

いくつかのドイツの新聞では、僕がトルコ系であるという背景とエルドアン大統領との写真を、極右化のために政治的な利用目的で使用している。

もしそうじゃないなら一体何故ワールドカップ敗退の記事に僕とエルドガン大統領との写真が掲載されるだけで、僕のパフォーマンスやチームのパフォーマンスに対する批判が書かれていないのか。

何故僕のトルコとのルーツと生い立ちを批判しているのか。

その他に失望したことは、メディアが二重基準をもっているということ。

ローター・マテウス氏(ドイツ代表名誉主将)が以前に世界的なリーダー(おそらくはプーチン大統領)と会っていたことについて、特にメディアから批判が寄せられることはなかった。

ドイツサッカー連盟における立場に関わらず、マテウス氏にはその行動への説明を求める声が特にあがっていない。彼はドイツ代表を代表し続けている立場にいるにも関わらずだ。

もしもメディアから見て僕がワールドカップから外されるべきだったとみるのなら、マテウス氏もまたドイツ代表名誉主将の座から降りるべきだろう。

僕がトルコにルーツをもっているということで、よりターゲットしやすかったのではないのか?

ゲルゼンキルヒェンにある母校を訪問しようとしたんだ。

そこにはチャリティにおける僕のパートナーと一緒にいく予定だった。

そこでは移民や貧困といった背景のある子供たちのために、サッカーをすることや社会のルールを身につけていくための1年間のプロジェクトへの投資を行なっていたんだよ。

でも行く数日前になってパートナーから僕は突然外された。

彼らは僕と一緒に組むことをもう望まなかったんだ。

更にその母校からも、マネジメントに対して訪問を控えるように伝えられた。

トルコ大統領との写真の影響から、メディアが殺到する恐れがあるというものだった。

ゲルゼンキルヒェンでは極右が力を増して来ているしね。

でも正直それは辛かった。そこの卒業生なのに僕は求められていない。

価値のない人間なんだと感じさせられたよ。

勝つ時は僕はドイツ人で、負ける時は僕が移民だということ。

僕はちゃんとドイツで税金を払い学校の建設などにも貢献し、2014年にワールドカップで優勝を果たしたというのに、それでも僕はまだ受け入れられていない。

ストレンジャーとして扱われている。

2010年には僕はドイツ・インテグレーションの成功例としてのバンビ賞を受賞した。

2014年には(国内最高のスポーツ賞となる)シルバーローレルリーフ賞を、2015年にはドイツサッカー大使にも任命された。

それでも僕はドイツ人ではないというのか?

それ以上に何があるというのか。

友人であるポドルスキやクローゼは、ドイツ・ポーランド人として扱われていない。

なのになぜトルコ系ドイツ人と言うんだ?

トルコだから?

イスラム教徒だから?

それがポイントなんだろう。

トルコ系ドイツ人と言われると、1つの国以上にルーツを持つ人を差別していると感じる。

ドイツ生まれでドイツで育ったというのに、何故僕がドイツ人であるということが受け入れてもらえないのか。

ベルント・ホルツハウアー(ドイツの政治家)は、エルドアンとの写真と僕のルーツから「ゴート・ファッカー(イスラム教徒をバカにする言い方)」と言っていた。

更にヴェルナー・シュテアー(ドイツ座の代表)は、「アナトリアへ帰れ」と発言している。

アナトリアとは多くのトルコの移民者の出身地だ。

前述の通り、僕のルーツを批判し愚弄することはあまりに酷いことだと思う。

差別を政治のプロパガンダとして利用するような、敬意に欠ける人物たちは、今すぐにそれをやめるべきだ。

そういった人たちはエルドガン大統領との写真を、人種差別の考えを表現する機会として利用している。

それは社会にとって実に危険なことだ。

対スウェーデン戦の後、ドイツのファンから随分と酷いメッセージが寄せられた。

さっきの人たちと変わらないようなものだった。

ヘイトメールも電話もSNSへのメッセージも、僕や家族は随分ともらった。

それは昔のドイツを想い起すようだね。

新しい文化に閉鎖的で、今の僕たちからみて決して誇りに思えない時代。

ちゃんと誇りに思えるオープンな社会を楽しんでいるドイツ人の皆さんとは、同じ意見だと思っているよ。

僕の気持ちはとても重い。

最近起きたことについて熟考を重ねてきた末に、僕はドイツ代表の一員としてこれ以上国際舞台には立たない決断を下した。

人種差別と軽蔑の中でプレーすることはできない。

僕はこれまでドイツ代表のユニフォームに誇りと感激を感じながらプレーしてきた。

でも今は違う。

この判断はとても難しいものだよ。

だってチームメイトやコーチスタッフ、そしてドイツのいい人たちのために僕は全力を尽くしてきたのだから。

これね・・・

『 遂にエジルが口を開いた、ブチ切れて一気に反撃に出た!』的に煽るような形でドイツのマスコミには取り上げられているのですが、

あんたら読解力ゼロか?

いや、ゼロなのはエンパシー(共感力)か?

どっちにしろ的外れだわ。

と思いましたよ。

確かに抑えきれない怒りを表してはいるけれども

怒りの裏側にはいつも100%必ず『 深く傷ついた 』という心がある。

私には魂の叫びというか、血を吐くほどの本当に滅茶苦茶苦しくて身を切るような辛さに思えました。

(`・ω´) < 明日に続く 

 

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