大分自分語りが入るので興味ない人は帰って? ( ←言い方 )
第一バイオリンの彼女の確実な演奏
そしてあの各音にバシっと間違いなく確実に指が入る安定した左手の動き
あれは間違いなく
地味で、単調でつまらなくて、うんざりせざるを得ない
やってる最中は漏れなくこんな顔になってしまう
今日ぐらいはいいかな♪ とついサボりたくなってしまう
しかし繰り返すことで確実に激烈に効果のある
要はめっちゃ苦しい基礎練習 を誤魔化さず
懇切丁寧に何十年も積み上げてきた賜物だわ・・・
( ちなみに私の専門は弓を使う楽器ではなかったので右手の動きは分かりません )
と 猛烈に湧き上がる敬意 とともに聴き入り見入っていました。
基礎練習ちゃんとやってるかどうかって、最初の3秒くらいでバレるんだよねー
これ四柱推命でも算命学でも同じだと思います。ていうかどの道もそうですよね。
そして休憩時間にプログラムに載っているプロフィールを見てみると・・・
何と私と同じ年 !
マジかーっ!?
こういうのって結構衝撃が大きくないですか?
1年のズレもなく全く同じ年齢。
し か も
私が渡独した96年には既にデュッセルドルフ交響楽団のコンマス ( 要は楽団のボスというかまぁ一番のまとめ役、エライ人 ) に就任してるんですよ。
こりゃすごいわ。25歳でって !
その前にはベルリン音大に入ってそこから国の奨学金とともにNYで2年留学、国際コンクールに優勝してすぐデュッセルのコンマス就任、といういわば
オーケストラ楽器の超エリートコース
を来た人です。
そりゃさぁ、全く同じ年齢のこういう人を見ると自分の人生を振り返らざるを得ないよね。
1996年以前私は何をしていたかというと、楽器にはそれほど力を入れておらず
( コンサートは結構してたし、演奏のバイトもいっぱいしてたけど
まさか自分が世界に打って出てプロを目指すとはまだ思っていなかった )
浪人して受験勉強に精を出し
浪人状態に対する母の暴言と私への扱いが酷過ぎて1年で14kg痩せ ( 要らん情報w )
その後大阪で大学生活を全力で最高レベルで満喫し
4年の時初めてまともに受けた国際コンクールで優勝して
色々あって
卒業1年後くらいに渡独したんだった。
そりゃ音楽一筋で行ってたら彼女のようなコースもあるよね。
もうこの辺↓の思考は何千万回も繰り返したところなのですが・・・
今の生き方は自分の中ではベストだったと思っているし、満足している。
順風満帆で完璧ではないにしろ。
私がやってた楽器はオーケストラ楽器ではなく、私が目指していたのは早い話が
私が敬愛するグルダ爺さんやHermann Preyさんのような
専らソリストとしての活動形態。
グルダ爺さん
Hermann Preyさん、この真ん中で歌ってる人
どの団体にも所属しない、完全フリーの演奏家 で生きていくつもりだったわけです。
クラシック音楽家の中でも最も難しい活動形態ですな。
もちろん
音楽業界の中でも特にクラシック業界の低迷は近年ますます色濃く
そのクラシックの世界の端っこの小っさ~い超~ニッチな世界の楽器だったので
その世界で完全にソリストとしてだけ生きていくのは極めて難しいです。
大抵はどこかの大学で教えつつ・・・といったように兼業です。
でも私は
ど~~~~~~~~考えても
自分がどこかの集団に所属してその一員としてやっていけるとは思えなかった。
全然したくもなかった。
というかそれは絶対に嫌!!だった。 楽器教えるの嫌いやし
てことは、もうソリスト一本で何とかやっていけるよう我武者羅に頑張るしかないわけです。
なもんでエベレストのような高いプライドをひっさげて渡独し、我武者羅に頑張りました。
実際チャレンジしてみると、とそのエベレストの頂上をあっさり超えるような結果を次々に出すことができたのです。
( もちろん極限まで努力して、のことです )
その間はその目標に文字通り全人生を賭けていたのでメラメラに燃え上がっていましたし、それ以外のこ
とは何も考えていなかった。
それ以外の余計なことは何もしていなかった。
あの時期本当に 完全に宿命を燃焼し切った と言えます。
その難しい行程ががぼちぼち軌道に乗ってきた30歳くらいの頃
そんな難しい行程ががぼちぼち軌道に乗ってきてるにもかかわらず
軌道に乗せるためにあれもこれもキャリアを積んできたのにもかからわず
肝心の
演奏したい
という気持ちが人生で初めてシュルシュルと音を立てて消えていきます。
そりゃもう自分で焦りましたよ。
今までそんなことが起こるなんて想像もしてなかったからです。
ここまで来て!?なんで!?
いやいやこれはおかしい。
ちょっと頼むわ・・・
いや、今だけだよね?ね?
ねぇってばー!!!??
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