一昨晩真夜中の変な時間に教会の鐘がずっと鳴っておりましてね。
何でこの時間に集中的に?
いや、でも確かこれ以前にもあったわよ・・・あの時はローマ教皇がお亡くなりだったなあ。
でも今回はイースターですよ!の合図かな?
などとぼんやり思いまた眠りについたのですが、昨日ニュースを見ると

そうでしたのね。
主イエス様のお慰めがありますよう心よりお祈り申し上げます。
さて。
こうでなければならない、ああでなければならないという決まり、規則、縛り。
そして何でもOKという自由。
この両者ってコインの表裏、陰陽の関係。
どの道にも両方なくてはならない。何をするにしても、最低限のマナーや基礎といったものはあり、それを自らのものにした方がより大きな自由を手にできるもの。
両方のバランスが取れてこそ初めて自分の本領を発揮できますね。
でも真面目な人ほど『~ねばならない』を追って、それが行き過ぎて自縄自縛の蟻地獄。頭でっかちで動けなくなりがち。
そんな “箍(たが)が外れにくい” 系の人には
しなければならないことなど何もない
という言葉を送りたい。
一方で『自由に!』を突き詰めて何もかもを好きなようにやってみる。
それは一見自由なように見えて、実は遠回りなのだよね。
全て自由ということは何もかもをゼロからチャレンジするということで、悪くはないが色々な面でロスが大きくなる。
それよりも決まりごとや面倒なことに思えても、歴史の中で世代を超えて受け継がれてきた先人の知恵を素直に一旦は取り入れる。その基礎の上で自由を弾けさせる方が、より早くより効果的に大輪の花を咲かせられる。
会心の一撃には急がばまわれ。
だからといってそこばかりに執着してしまうと、対となる『自由を得てどうしたいの?』が手薄になる。
と考えるとますます北と南、インプットとアウトプット、東と西、確実な守りと積極的前進という陰陽だよなあと思うなど。
自由を追い過ぎて基礎といったやるべきことが手薄になっている人はそちらを。
自縄自縛に流れがちな皆様には『しなければいけないことなど何もない』を。
どうぞご自由に選択なさって。
さ、じゃあ私も積極的に一般常識から外れて次回の対面鑑定には『七転び八起き』パーカーで行こうかな。
注:嘘です、買ってません(笑
本日もお読みいただきありがとうございました。
モネのLe Grand Canal
の絵の前で、ベネチアのゴンドラ気分ノリノリな鑑賞者たち。作品の中で自由は弾け出す。
Balade à Venise by Thomas Bossard
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