以前火傷した右手の指 ですが、ここまで回復しました。
当初はあまりの酷さに絶対にくっきりハッキリ痕が残ると思っていたのですが、カモミールティーでがっつり冷やしたのが功を奏して(←お医者さんのおかげは? )見た目殆ど以前と同じ状態に。
この丸で囲んだところが特に水膨れが酷かったところで
まだ赤みが残って皮が薄いのですが、時間が経てばもう少し丈夫になるでしょう。
良かった良かった
ところで小学校の時、絵本や写真集、物語など原爆の資料が学校に沢山あったのですが、そこに何度も
被ばく者は体中火傷だらけで皮膚がぼろ布のように体中にくっついて垂れさがった様子だった
という表現が出てきていました。
それが当時の私にはイマイチ想像し切れず
体にボロ布 ??
とよく分からなかったのですが、今回火傷後治る途中経過の段階でようやく理解しました。
あれはホントにボロ布だわ。
ずっと包帯やバンドエイドで覆っていましたが、一旦それを開けるとまさにボロ布で覆われた見た目。
もちろんたかがこの程度のちょろっとした火傷と、原爆で体中直撃を受けた被ばく者の状態を並列で考えることはできません。
けれども火傷した直後たったあれだけの面積ですら水で冷やしていても悶絶するほど痛くて堪らなかったのに(なので電車で診察を受けに行く時もビニール袋に写真のカモミールティーを入れてそこに手を突っ込んで移動した、水から出した状態では3秒も痛さに耐えられなかった)、当時の人たちはカンカン照りの中火傷を冷やすこともできず、炎天下の元手当も受けられず亡くなった人も多かった。
どれだけ辛くて苦しかっただろうかと思いました。
ちなみに以前広島でコンサートをした時、原爆ドームを見下ろす位置のホテルに滞在したことがあります。
その時に側を流れる川が思いのほか小さかったのに驚きました。
当時の資料を読んだイメージでは何となくうちの近所のライン川くらいの大きさかと思っていたので、こんな狭い川に人々が水を求めて殺到したのか・・隙間がないくらい一杯だっただろうな・・と思ったものです。
ドイツでは紫陽花の季節もそろそろ終わりです。
コメント
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>せいらさん
ご心配ありがとうございます。
その軟膏、今度日本に行った時に探してみますね。
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楽器を弾かれるので、跡が残ってしまっては…と心配していました。
跡が残りにくくなるアットノンを塗ってみてはいかがでしょう?https://www.kobayashi.co.jp/seihin/ant/