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元気なってきたー! ←しょっちゅう言ってる
いや、なってきたのですよ?ほんとほんと。やっとでございます。
調子が悪い時は原典も読めず、運動もできず、首から肩からこの人たちくらいガッチガチに凝っていました。
アテネのアクロポリス、見るほどに辛そう。誰なんですかこんなむごいデザインを考えたのは。
でもようやく昨日くらいからまた原典が読めるようになってきた!
うっれしっいなぁ♪
さて。
命式によっては甘やかされてはいけない人、助けられない方がいい人、厳しい環境というよりもむしろ周りから村八分のような目に遭う、つまり孤立無援であるような環境でこそ本領を発揮して本格的に伸びる人というのはいるものです。
こういう人がずっと守られた、ほわんとぬるい感じの環境に居続けてしまうと、自分がやるべきことができない。できないと自分が伸びない。伸びしろいっぱいのまま年月だけ過ぎていく・・・となるので不満が溜まります。慢性的にイライラしっぱなしになります。
なので四面楚歌、万事休す的なことが起こるかも知れないけど思い切ってやりたいことをやるんだ!という方向へ突っ走る方がいい。
うん、それはいい。とてもいい。
ただ。
- 厳しい環境、難しい状態で伸びる人
- 助けを得て全然OK、というよりも周りに自分を助けさせてあげるのが役割の人
うんぬんの判断以前に、算命学の基礎であり大前提である陰陽の法則は
陰は極まると陽となる
陽は極まると陰となる
なのです。
つまり、たとえ最低レベルの生活環境で伸びますよという人でも、それが行き過ぎてはいけない。
四面楚歌といった窮地に陥ることがプラスになる人であっても
苦しいことが100あれば100良いことが返ってくる
1000あれば1000
100000あれば100000
酷ければ酷いだけリターンは大きい
といったリスクゼロの投資みたいな話ではありません。
人間はこの世で生きている限り肉体という有限の器とともに時間を過ごす存在。
つまり限度というものがある。
子どもの頃や成長過程で難しい状況・環境であることが順当であり、人生後半に運が伸びて来ますよという命式の人がいたとする。
じゃあその生活が困難を極めれば極めるほど、その子の人生は後に明るく大きく幸あるものに発展していくのか?といえばもちろんそうじゃない。
限度というものがある。
限度。
この厳しさについては、暗黙の了解として『常識の範囲内での苦労を伴う生活』を前提に算命学では語られる。そりゃあそうですよね。度を越したら人間なんて弱い生き物だから死んでしまう。特に子供は。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
過ぎた例
けれどもこの限度、人によって想像する度合いは異なるもの。
厳しさの許される度合いこそ家庭によって、家系によって色濃くカラーが分かれるところだと思うのです。
その限度が自分に合わなければ、自分が死んでしまう前に離れる必要がある。離れていい。
その1つの目安としても、天中殺別のはみだし運は機能している部分はあるのでしょうね。
どれだけ強く、大きな器で、孤独の中周りにきつくあたられ、最低レベルの生活をすることが望ましいとされる子供でも、人の子である以上はやはり最低限の愛は必要であり、度が過ぎた苛酷さは人間を壊してしまう。
陰極まれば陽となる、けれども行き過ぎて一周しまた陰に戻ってもうそれ以上は無理・・となる子もいる。
況やエネルギーの弱い、器の小さい、愛情たっぷりで甘やかされて育つ方が向いている子をや、ですよ。
算命学は中庸を善しとします。
極端なもの、度を越した状態は自然に反する。
人間は意外に壊れやすいということを忘れることなく、人と接して行きたいものですね。
特に相手が子供である場合はね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Jan Pashley
コメント
あのときの厳しさがあるから今があるというのは、本人が言うのであればまだ救いがあります。ですが他者の過度な厳しさに損ねられた人、それがきっかけで動けなくなった人。命を落とすことさえあります。厳しさがいきすぎると、人を壊すと思います。本当に相手が大事ならば、何かを求めず相手の幸せを願う。そこから発生する厳しさならば、相手を打ち負かすことはないと毒親育ちとして強く思います