何かに挑戦すれば確実に報われるのであれば、誰でも挑戦するだろう。報われないかも知れないところで同じ情熱、気力、モチベーションを保って継続しているのは非常に大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っています。
という棋士の羽生さんの言葉がありましてね。
この年(来年波平)になると継続の威力の凄さが身に沁みます。
何故この年だからかというと、若い時って結構体に無理して短期でガっとまとめて一気に行け!みたいなのができるじゃないですか?だからコツコツ長期間続けることの大切さを説かれてもイマイチ分からない。そもそも数年しか生きていないのだから、長く続けて結果を出すという現象が同年代で大して起こっていないので分からない。別の世界の話という感じ。
でも波平世代ともなると
短期決戦の体力も気力もない。
ということは何かを成し遂げようと思うと、1日にできるちょっとしたことを積み重ねていくしかない。というよりちょっとならできる。
逆にこの年にもなるとその積み重ねの結果が出ている同世代も沢山いるわけで、しかもこれまでの人生からも
たとえ騙しだましでもテキトーでも、続ける時間が長いとそれは力になる
ということが経験で分かる。
更に十年ひと昔というように、光陰矢の如し。ぼちぼち続けていてもあっという間に努力が積み重なって、気付いたら結構進んでた!という感覚を得られる。これは加齢の大きな長所ですね。
そして若い頃を振り返った時、短期間でガっと行けたつもりでも、長い目で見たら大したことなかったなというのも分かる。一人の人間が短期間で出来ることなんてたかが知れているのです。
ところで羽生さんの言葉でパッと浮かんだのは龍高星。
算命学で努力、根性と忍耐と言えば龍高星。
でも龍高星を持っているからと言って皆が皆努力家で忍耐強いかと言われたらそんなことはない。
龍高星というのはそもそも貪欲なほどの好奇心。
知りたい、体当たりで経験してちゃんと自分で分かりたいという星。
その『どうしてなのだろう?それは本当なのか?どうやって?』の究極の知的探求心を満たすためなら、あの壁をぶち破ったり、この山を越えたり、泥を啜ったりの日々の努力が苦にならない。
いや、苦にはなるのだけれど、それを上回る大きな『もっと知りたい!』が滾々と湧いてくる。なのでちょっと面倒だな~と思っても『知りたい』モチベーションにひっぱられて休み休みでも続ける。休んでもそれっきり忘却の彼方へ・・とならない。そして再度気力体力が満ちると
で、あれはどうなのよ?
とまた戻ってくる。そして以前止まっていたところから飽きずに継続できる。
探求心>>>努力、忍耐は面倒だよねの気持ち
継続は力なりとはさらっとよく言われますが、力というよりは重厚感のある確かな性質であり、武器であり、魅力であり・・・とその人の切り離せない一部となっていく。
そしてその探求心も心から湧いてくる『知りたい』の欲、それがあって初めて継続に繋がるのであって、そこで問われるのはやはりそれを本当に好きなのかどうか。本当にやりたかったの?そこに嘘はない?
誰かからのお仕着せの『あんたこれが好きなんでしょ?』からきた表面だけの探求心や、本当はやりたくないけどやんなくちゃな・・と特に目的もないのに無理やり掻き立てるなんちゃってモチベーション。それは続かない。
本当に好きなものに向かって進んでいれば、龍高星はちゃんと機能し、派生的に努力も忍耐力も出てくる。
続かないということは、それは『そっちの方向ではありませんでしたね』が分かったということでOK。やってみて分かったのだから龍高星は満足。また方向転換して仕切り直して行けばいい。
それが 好きこそものの上手なれ ですね。
このあたりは気・体・心の3つが一致してるのか?みたいな説明を算命学ではできるのですが、それはまた別の機会に。
ちなみに羽生さんは龍高星を東西に2つお持ちでした。
本日もお読みいただきありがとうございました。
だんだん秋が近づいてきましたね。
Claude Monet, The Forest of Saint-Germain
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