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配偶者と恋人、仲間と友人、内と外

 

皆さんこんにちは。

息子の行く学校、オーケストラ部があるのですよ。なんて羨ましい!!ジャズ部もある。羨ましい!!でもうちの子たちは誰一人興味なし。もったいないなぁ。本当に私の子なのだろうか?

子供たちに私の傾向が全く譲り受けられておらず、わたくし午未天中殺の性質を遺憾なく発揮している模様。

 

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さて。

世間一般にはお付き合いする相手だろうが夫婦だろうが、男女の相性は “モテるのかどうか” あたりまで十把一絡げで全部まとめて語られます。

けれども算命学では恋人としての相性と夫婦としての相性は別と考えます。

恋人は友人・知人カテゴリーに入るのに対し、夫婦は同じ1つの目的に向かう同士と同じカテゴリーに属します。つまり世界が違う。

これはひとえに1つの目的を共有しているか否かによるのです。

 

恋人も友人も、自分とそれぞれ目的がバラバラ。

夫婦は二人の人間が1つの目的を持つ。

仲間同士も目的は一つ。(by 高尾宗家)

 

なので恋人としては相性は良かったのに結婚したら・・とか、友人としては最高だったのに一緒に事業を始めたら・・・などのケースが出てくるのです。

 

夫婦は家庭の世界。

恋人は社会で

これらはの関係。

夜と昼は途切れることなく繋がっていながらも、陰陽で全く異なる世界。

女性と男性も同じ人間という繋がりはあれど異質な存在。

も地続きながらも全く異なる世界。

この陰陽異なる世界は、あの世とこの世も同じ。繋がっているのに完全に異質。

 

 

算命学では命式から相性を見ることができます。とても大切です。

ただ命式同士を突き合わせて相性が良くても、それぞれがその命式から外れた生き方をしていたら現実も大きくズレて来る。なので

宿命に沿った生き方をすれば相性は最高ですよ

でもズレたまま行くとせっかく互いにぴったりマッチするいい組み合わせの部分があるのにそれが生かされないまま行ってしまいますよ

みたいな話になります。

 

ちなみにこのの世界の異なりは『どのように外国を捉えるか』にも反映されてきます。

どこかの国に旅をした、1か月ほど滞在してみた。この国最高!

と思って移住してみたら、途端に印象が変わったということは多いものです。

これは

  • 旅行者、短期滞在者である限り、その国の人にとっては自分はの世界の人(目的が違う)
  • 移住してきて同じ場所の在住者となると、そのコミュニティーのの人(同じ目的を持つ)

と立場が大きく変わるので対応が変わってくるからですね。この差は大きい。

 

 

同じような話で、恋人として付き合っていく分には相手も、そして相手のご家族もとてもいい感じで親切にしてもらっていた。なのに結婚した途端に『え?あれっ?』という扱いをされるようになった、というのがあります。

これも自分の内の世界の人なのか、外の世界の人なのかという大きな異なりから出てくるもの。

 

このの世界の違いを様々な場面で感じ取れるようになると、色々用心深くなりますね・・・(何だよ・笑)

いやね、相性とか運気とかもちろん最善を尽くしてあれこれ万全の策を練ることはできます。けれどもそれは100%の保証付き!じゃないんだよね。人生やはり実際何でも飛び込んでみないと分からない。

それを考える時、この瞬間のことを思い出すのです。

 

“ 私らしい自業自得 ” で呆れてモノも言えない怪しいお話
「 もし人生を途中からやり直せるとしたら、いつからやり直したいですか?」って質問よくあるじゃないですか。あれね、昔からいやいや、ど〜っこにも戻りたくないから!どこからやり直しても苦しいわ。しかしもしホンットにいつにでもというのなら 生まれる...

 

この世に来る直前の、喜びと期待炸裂しすぎ状態を一瞬再体験したあの時を。の世界からの世界に飛び込んだあの時。

結婚前後も似たようなもの、海外移住も似たようなもの。

就活ではとてもいい感じだったのに、一旦入社したら空気が全然違うじゃないか!学校案内やオープンデーではああだったのに実際に入学して見たら!?みたいなのもそう。

 

もちろん期待以上に最高の環境でした!みたいなのもありますよね。うん、あるある。

いずれにせよ飛び込んでみないと分からない。だってもし算命学やその他何某かで行く末を100%の確率で見通せてしまうのであれば、その最適解をなぞるだけの流れになって生きている意味がありませんからね。

 

やってみて違っていたら、それはそれで舵を切り直せばいい。

自分で選んだんだろ~

みたいな “正論の鉈でぶった切る” 的くだらない嫌味をぶつけられても、どこ吹く風と平然として次に進めばいい。それはやってみて違うと分かったという経験を積んだにすぎないから。失敗ではない。経験が一つ増えたという宝の積み重ね

 

思い切って内と外の世界の境界線を越える経験は、人生で必要ですね。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

Ferdinand du Puigaudeau, Sunset by the Sea, Brittany(ブルターニュ)

 

コメント

  1. いつも勉強させて頂いております。
    貴重なお話と、芸術と笑いのミックスに
    すっかり魅了され、いつも楽しみにしています。

    今回の記事とはズレてしまうのですが、常々気になっていることがあり、質問させ頂きました。
    ここ数ヶ月、日本では一人の知事の問題がしきりなのですが、問題があったと報道された被害者側の方々が、そんな事実はありません。とHPや会見などで公にされており、不可解なのです。1件だけではなく数件声をあげられていますが、それについては報道側の訂正などがないまま問題ばかり取り上げられています。実現された公約などプラスに働くようなことは報道されません。
    これは麹の時も感じましたが、結局因果関係は見つからなかったにも関わらず、まだ何も確定もしていない時期から偏った報道のみで判断されてしまい、他の大切な事実は報道されませんでした。
    こういったことは、命式を観れば解読できるものかと思っていましが、命式の解説を読んでいると、報道による疑念を持ったまま解読しているものばかり。   
    算命学や四柱推命を勉強しても、真実は分からないのでしょうか? それとも、鑑定士の力量の問題なのでしょうか? まだ初学者なのでとても気になっています。
    結局は、観る人間がみたいようにしか観れないのでしょうか? それだと意味が無い気がしてしまいます。

    • 兵庫県知事さんの話でしょうか?被害者の方が被害を訂正というのは、お亡くなりになった方がおられる云々の話ですかね?
      算命学は実際に起こったことを個別具体的に逐一見通す透視ツールではありませんので、報道内容が本当か否かは分かりません。
      ただこの命式でこういう環境で成長期をすごしたのであれば、そしてその後どう生きているかなどを加味して今現在どんな状況というのは分かります。
      分からないのは悪の道に足を踏み入れているのか、善なのか、人間性や品性の高低などですね。それは算命学では判断しないものだからです。
      と語り出すと止まらないのでこの辺で・・

      • お忙しい中、丁寧にお返事を頂きましてありがとうございます。 言葉足らずの説明と不躾な質問、大変失礼いたしました。

        乙丑のお話の中で引用されていた
        「算命学を理解する上では、主観や感情が最大の敵となってしまうのです。(原典Ⅱ)」と、
        頂きましたお返事の中の
        「それは算命学では判断しないものだからです。」
        この2つの言葉が、ドスンと腑に落ちました。

        占技の理解よりも、その人の主観や感情、偏りなどに着目しがちだったな。と反省し、何のために算命学を学ぶのか、考え直さなければと思いました。 

        モヤモヤとしていた部分が晴れて、今後の向き合い方が変わるように感じます!
        本当にありがとうございました。

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