この間母の日に子供たちからもらったカードを眺めていて思った。
日本には何だかんだで親に『産んでくれてありがとう』というのは素晴らしい、美しいみたいな空気がある。
ふとあれを私が子供たちに言われたとしたら?と想像した瞬間にものすごい違和感が生じた。
『産んでくれてありがとう』だぁ?
いや、感謝される筋合いはないぞ。全く筋違いだ。
あれはどう考えても私(と夫)が決意してこの世に、自分たちのところに新しい命を迎え入れようと決めて発生したイベント。私たちが勝手にしたこと。
別にそう言われたからといって不愉快ではないし構わない。言いたいなら言って貰って全然結構。
ただ頓珍漢なのだ、激しく。
どの辺がありがとうなんだ?と。
私が好きで勝手に算命学を勉強していることや、気が向いたから自分のために練乳アイス食べるのに対してありがとうと言われたら
となるのと何も変わらない。
そもそも生まれてくる子供というのは、その母親が母親になる決意をせず、子供を持たずに一生生きる場合、ちゃんと別の出口、つまり別の生まれ場所・親を探して生まれてくる。
私はただ子供を持つと決意して、向こうからこちらの世界に来る入り口になる選択をしただけ。それは私の一存だ。
そこを選んで生まれて来てくれたのはこの私の子供たちなのだ。
だから本来感謝するのは親の方なんだよね、どう考えても。
私というトンネルを選んで生まれて来てくれて本当にありがとう、こんな場所で良ければできるだけのことはしますのでどうぞどうぞと。
もっと言うと、私たちの場合は生まれてくる前に
私が先に行って準備してるから3人ともおいでね~♪
オッケ~!(×3)
と約束している。
夫に関しては知らない・笑
その約束を果たすべく私は体を健康にキープして、色々準備してきただけ。そして決意しただけ。
ちゃんとその約束を覚えていて私たちのところに来てくれた子供たちが生まれた時には
やっっっっっっと約束を果たせたな!
とものすごい肩の荷が下りたものだった。私が出産直後最初に思ったのはこれだった。
そういうわけで別に言いたい人は言えばいいと思う。誰も傷つかない。
でも一体誰なんだよ、そんな頓珍漢な風習作り出したのは。
それに何故親の立場でみんな違和感を感じないのだろうね?へんなの。
そんなことを思った胃痙攣からの回復期でした(笑)
本日もお読みいただきありがとうございました。
胃炎でやめときゃいいのにやっぱり食べたい・・食べたらまた激痛が来るだろうか・・と悩む私。
歌川国貞「鬼あざみ清吉」
コメント