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人間小宇宙論

 

算命学には『人間小宇宙論』というものがあります。

 

『人間小宇宙論』は人間そのものを宇宙であると定義し

~(中略)~

この場合の宇宙とは現代人が考える無限の宇宙空間ではなく、立体五行説そのものが古代における宇宙の設計図なのだから、その設計図に適合する形そのものが彼らにとっての宇宙なのであります。

 

宇宙が宇宙たる所以、その決まり事というのは究極にシンプルに表すと立体五行そのものであり

 

 

宇宙に存在するあらゆるものーそれはもちろん人間も含めてだがーは宇宙と同じ構成要素で出来ているはず。尚且つ宇宙に存在し続けられているということは、同じ基本構造で同じように(揺らぎはあれどある程度の)バランスを保ってるってことでしょ?だから宇宙という枠の中で存在できてるんだよね?

だから人間は小宇宙と言えるよ!という考え方。

 

その宇宙とはバランスなのであります。

けれどもバランスにもある種の完全なバランスと不完全なバランスが存在していて、バランス即完全とは考えていないのです。

~(中略)~

完全バランスを以て最高の『次元世界』とし、『聖』と称する言葉の中にこの次元が含まれているのであります。

完全なバランスに支えられた思考力、表現力、守備力、前進力、加えてバランスの取れた健康などを具有するものを以て『聖』と呼んでいるのであります。(原典)

 

この辺は昨日の記事に書きましたね。

バランスとアンバランス、長寿と短命
バランスが保たれるものは継続し アンバランスは続かない という法則があるため、古代中国では長生きした人は聖人と呼ばれました。

 

しかし算命学は次元高きものも次元低き者も、宇宙という範囲においては同格であり、次元の高低は今生における人間個人の役目であると論じる。そこに算命学思想の根本理念があって、人間としては万人すべからく同格であるが、今生の役目においては上下が生まれるという考え方です。(原典)

 

これよね、これが真理なのですよ。

こういった算命学の考え方やその元になる、古代中国の賢人たちがどうやって陰陽思想・五行思想を生み出し、それをベースに干支を作り・・・というのも算命学ではいちいち理屈で勉強します。

 

が、私は思う。

これ相当あの世に通じた感覚の人で且つ知能の優れた人たちがこの理論構築に貢献していたはず。

あの世の感覚がガッツリ残っている人が、それをただひたすら

そうなんですよ!

と連呼しても説得力がないので、何とか現世感覚しかない人にも理解できるように知恵を絞って理屈を編み上げたのだろうと。

 

この辺、私が物心ついた時からずっと持っている根源的な感覚と完全に一致するのです。

しかし私も伝えたいことは沢山あれど

いや、ホントそうなんっすよ~そうとしか言いようがないんですわ~

くらいか言えないものね(笑)

 

この人間小宇宙論あたりの話、私めちゃくちゃ好きなのです。

好きなのですが

 

親と子はともに人間として同格なのです。

しかし親という役目と子という役目の間においてははっきりと親が上、子が下となります。

人間が上なのではなく、親という役目が上であるところに気を付けて下さい。

この考え方は儒教の力によって相当に変形させられたところがあり、武士社会において役目と人間が一緒になってしまったのです。(原典)

 

これな。これやで。ホンマこれ。

儒教に関してはちと思うところあるのですが、あまりよく知りもしないのに腹に一物抱えるのもどうかと思い今現在少しずつ論語を読み進めています。

いるのですが

 

感想:想像通り。ていうかこれ思ってたよりアレやな・・

 

もちろんいいことも書いてあるのだよ。あるのだけれど。

また儒教に関してはそのうち記事を書くやも知れません。

おい、孔子。

嗚呼、孔子。

 

論語読んでる時の私

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

クラランス・ガニョン『クリスマスのミサ』1928—1933年

 

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