私が神と崇めるロシア人ピアニスト Grigory Sokolov氏は毎年一つのプログラムをずっと演奏して周ることで有名なのですが、そろそろ2024年度の新しいプログラムが出てくる頃なのですよね。
まだかな~次は何を聴けるのかな~?
と首を長くして待っている今日この頃でございます。
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この2004年パリでのコンサートは録音状態がとてもよくて、これも iPhoneに落として繰り返し聴き倒しています。来年はシャンゼリゼ劇場にも行ってみたいなあ。
さて。
何十年も算命学をなさっている先生が
自分の命式を本当に分かるようになるまで5年かかった
みたいなことを仰っていた記憶があります(うろ覚えなのでもしかしたら10年とかだったかも)。
当時それを聞いて私は
確かに算命学を隅から隅までマスターして、上級の技術的なことまで使って読み込むと考えたらそれくらい時間がかかるのかもなあ
なんて思っていました。
それも間違いではないのだけれど、違う部分で時間がかかると今なら断言できます。
例えば戌亥天中殺で家系の流れからポンと飛び出して、親・親族の助けなしに自力で生きていく方がいいよという最身強の人がいるとします。
何故なのか。
何故自分は流れの中に居続けてはいけないのか。
何故助けを得てはいけないのか。
何故そんな役割を負ってこの家系に生まれて来たのか。
何の因果で、どんな因縁があってそういうことになっているのか。
親はこんな風に楽し気に・問題を抱えて苦しそうに生きていたけれどそれはどこから来ていたのか。
その親(=自分から見て祖父母)は、ではどうだったのか。
その上の世代は〇〇だったようだが、それは何故なのか。物理的要因だったのか心理的精神的な何かの問題やもつれがあったのか。
あったとしてそれが代々△△な形で表面化していたなあ。
そこが鍵かも?
といったように、個別具体的に家庭や家系内の事情を考察する。出来るだけ情報を集めてみたりこれまでの人間模様や誰かの発言を思い出してみたり・・・といったことを出来るのは本人だけ。
算命学では色々分かりますが、その家系内の誰かの具体的な心情みたいなものまで見通せる透視能力ツールみたいなものではありません。算命学で分かるのはあくまで、極端にプライベートに踏み込まない枠組みの部分といっていいでしょう。
逆にですよ。
見ず知らずの誰かにたった数万円程度のお金を払うだけで、しかもたった1時間半程度の時間で、それまで代々積もりに積もって拗れに拗れた家系の感情のもつれ、問題の濃縮還元なべ底山盛りこびりつき状態みたいになったガチガチの因縁が瞬く間に
あなたの家系の因縁は~
・・・・
・・・
・・
(ふんっ!)
酒乱っ!!
酒をやめるのです、さすれば道は開かれん!
(ビシィィッ&ドヤ顔)
みたいに出てくる方がおかしいでしょう。
いやアンタなんやねん。黙れよ(失笑)
ってなるでしょう。私ならなるわ。
いや、おかしいのですよ。
どろどろの大問題の渦中でグルグルぶん回されている人にとっては、願ったり叶ったりかも知れない。けれどもそれじゃダメなんだ。問題が大きければ大きいほど、家系のドブ掃除が大変であるほど、ドブ掃除特任大使に命ぜられた人は
何故?
を思うはず。
何故自分がこんな目に?
その解に辿り着く大きなヒントが算命学の命式を読むということ。それは鑑定師さんにがっつりやってもらえる。
その後の個別具体的な思索は自分でやらなくちゃいけない。それもドブ掃除に漏れなくついてくる必須課題。
そして本当の解はその人にしか分からないようになっている。誰か外の人に与えられるような類のものではない。
その
何故?
を真剣に考えるにあたって自分のこととして親・祖父母、そして先祖のことを考える。
何故こんなにまでなってしまったのか。
一体何があったのか。
そしてご先祖はその時どんな思いでいて、どんな昇華されない思いを残してしまったのか。
その憤懣やるかたない苦しみの元凶は?
それは解に繋がる道筋であると同時に、強烈な先祖供養になる。
どんな人も自分を分かってもらいたい。分かってもらえると嬉しい。少なくとも『理解しようとしてくれる』だけで救われる気持ちなのは、生きている人も死んでいる人も同じ。その自分事のように(実際自分ごとなのだけれど)『理解しようとしてくれる』人が自分の子孫であったなら?あの世でどれだけの救いになることか。それも先祖供養の一つの形。
そしてその
何故?
に対する解というのはどこかに転がっているものを探し当てるというようなものではなく
因縁の流れを自分なりに理解した、それを解消する方向はだいたい分かったので自分はこう生きよう、人生でこれをしようと決めるということ、その決意
なのです。そんなことを人任せにしてはいけない。人任せには出来ない。
だから本当の意味で自分の命式を読めるようになるには時間がかかるのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
歌川広重『名所江戸百景 深川万年橋』1857年 .。oO(何故ワシは窓際に吊るされているのか・・何の因果で・・)
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