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決意と覚悟の話

 

何かを身につけ学ぶ時、高みに昇り詰めるための長い道中では、必ず誰にでも混沌とした過渡期が定期的に来る。

 

今の私はその真っ只中にいる。

この過渡期はよく知っている。とても苦しい。約30年楽器演奏を続けていた時も何度も経験した。だからこそ今がその時期なんだろうなというのが肌で分かるし、ここで投げてしまったり『もう駄目だ』と思わなくていいことも知っている。

そしてレベルが上がるほどその重さも増す。

 

この何とも言えない重さのある苦しさは果たしていつか消える時が来るのだろうか?

と、先日 Essen/エッセン市でEvgeny Kissin/エフゲニー・キーシン氏を聴きながらずっと考えていた。

 

 

少なくとも生きている限りは、そしてその道を究めようとする限りはずっと定期的に来る。

しかし死んだ後は?

あの世に行ってしまえば、あちらの世界は “100%例外なく思うこと即実現の世界” なので、なかなか思うようにいかないなあという不満感からの葛藤や苦しみ、停滞期のようなものはない。それは知ってる。

じゃあスッキリ楽になるかというと、今度は “何もかもすんなり思い通りに行ってしまうことに対する飽きや退屈さ”、そう、その猛烈な退屈さにウンザリしてしまうのも知ってる。だからこそ私たちは、“何でも思い通りになってしまうという抵抗のなさ” からの大反発で、大欲張りで我先にとこの不便な世に生まれてきたいと思うのであり、あっちにもこっちにもハンディを付けてなーーーーーっかなか思い通りに行かない設定モリモリで生まれてくるのだ。それも知ってる。

 

あの世もこの世も極端だよなあ・・・

そういう両極端を行ったり来たりよりも、あの世ではボチボチ8割くらい思い通りになって2割くらい障壁付きだといい。この世ではもう少し障壁も苦しみも少なくてある程度無理のない程度に願いが叶う世界であればいい。でもそうするとあの世とこの世で差がなくなるから行ったり来たりする意味がないもんな・・・

 

なんてずっと考えていた。

 

うん、これも 混沌とした過渡期=スランプ にいるからだよな。

 

ところで、ここしばらくどこに目を向けても繰り返し出て来るのが 覚悟 の話。

算命学の本を毎日必ず少しは読むようにしているのだけれど、最近読み進めていた(そしてしばらく止まっている)部分もそのテーマだった。

 

平面五行で東西南北中央という5方向に様々な対象を分類できるのは皆様ご存知かと思うが、生きるスタイルもざっくり5つに分けられる。組織的前進第一を念頭に生きるのか、乱世に突っ込んでいく生き方をするのか、家庭的に次世代ファースト的に生きるのか・・・みたいな感じで分かれるのだが、その内容はここでは割愛する。

 

ここで言われるのは

1度生きるスタイルを決めたなら途中で変えない方が良いぞ

ということ。

 

この間までは乱世的生き方でバリバリやってましたけど~

これからしばらくは知的生き方で生きますわ

まあ飽きたら組織に入れて貰おっかな♪

みたいに スタイル=心のあり方 をコロコロ変えるというのは、人間を地球に置き換えて考えると地軸がそのたびにズレるということ。そうすると同じように自転していてもそこに現れてくる現象も運命も毎度ガタガタにブレて崩れるんやぞ?これが運命が人生で一定しない理由なんやぞ?

 

と来るわけです。分かりやすいですよね。

注:ちなみにこれは転職しちゃダメ、住むところ変えちゃダメとかそういう表皮的な話ではない。

 

もの凄くイケ好かない奴が大成功している、何故!?

みたいな場合も、それはその人の在り方が首尾一貫していて、尚且つ内と外とで矛盾していないから。精神と行動のバランスが取れているから。それを貫いているから。

そのために必要なのがブレない覚悟。こうと決めたらこのスタイルを貫きます、それは過去も今も昔もそうであり、自分に対しても外に対しても矛盾なく!という決意と覚悟

自然界はバランスで成り立っているのだから、矛盾がありバランスが崩れたものは淘汰されるのは当然。

精神のブレを防ぐことが運を掴む最大の方法である

そのために必要なのは覚悟だぞと。

 

そして前回の記事

創造力は何かと引き換えに(ハンター×ハンター)
昔ニコール・キッドマンが 映画は総合芸術だ と言っていたのですよね。 ふむ、確かにね。映画だと頭の中の世界をあらゆる手を使って丸ごと表現できるもんね。 と思いながらも、でも ああ、確かにこれは総合芸術だ と心から思った映画って思いつかなかっ...

 

このハンターハンターという漫画は壮大で話がとにかく長いのですが(でも途中全く飽きさせないのがすごい)、そこでも何度も何度も出てくるのが決意と覚悟。『制約と誓約』という言葉で出てくる。どこまでの覚悟が出来てるんですか?によって結果が大きく変わってくるということ。

 

そしてそれはお話の中だけではない。

作品というものにはそのレベルが高ければ高いほど、作り手の人となり、人生、生きる姿勢が嫌でもダダ洩れになる。楽器演奏と同じ。

つまり話の中で作者の冨樫義博さんが自分自身に

更に高みに昇るためには『大事なものと引き換えにしてでも』という首尾一貫性が求められるけど、それだけの決意と覚悟はある?

を問い、問われ、命を削って産み出したものというのがビリビリ伝わってくる。

だからこそあの作品に触れた人は深く心を打たれる。

 

そして前回のエフゲニー・キーシン氏のコンサートで、私に確かに流れ込んできたキーシン氏の音楽に対するとてつもなく巨大で確固たる覚悟の感覚

 

この人の愛とは覚悟なんだ:エフゲニー・キーシン/ Evgeny Kissin in Frankfurt
そうか、この人にとって愛とは覚悟なんだ。 私が感じたとてつもなく確固として揺るぎない、真っ直ぐで純粋で、だからこそ巨大な覚悟は愛に直結していた。

 

あなたの覚悟はどうなのですか?

を四方八方から今、私は問われている。目に見えない世界から。

狭義には今世での算命学に対する姿勢。

広義には今後もずーっと続く私の魂の旅程において『あなたが目指しているのは本当にこっちでいいのですか?』と。

今世の算命学に関しては、確かに階段を上っていくのは大変なのだけれどそこがまた楽しいので揺らぎはない。

広義の旅程に関しては、まだ分からない。まだ決めなくてもいいのは知ってる。でも今決めなくとも死後であろうが来世だろうがいずれそちらに引っ張られていくのはもう分かってる。でもそこに耐える自信はあるの?を私は定期的に問われる。

 

はい、これをお読みの方は何のことだかさっぱり分かりませんよね。すみません。

でも外側がどうであろうが、とんでもないものを世界に提供し人々を核心に引っ張り目を覚まさせてくれる存在は、気が遠くなるほど長い魂の旅程で少しずつ覚悟を確固たるものにしていき、全てを出し尽くす覚悟で生きてる。それをずーーーーーーっと続けてる。続ける覚悟がある人。

そして『 さあ、あなたは本当にそちら側に行きたいのですか?』を問われているという話。

 

皆様はそんな覚悟がありますか。

そんな覚悟の人を見たことがありますか。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

『私はそんな覚悟を・・持っているだろうか・・・』

Portrait of A. Grib, Chief Blast Furnace Operator at Zaporizhstal Steel Mill by Yuri Smirnov

 

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)おそらくその繰り返し来る鈍痛のような苦しさ、息苦しさが消える時というのが、輪廻から卒業する解脱の時なのでしょうね。

 

コメント

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