皆様、ちょっとだけお久しぶりでございます。
子供たちの体育の時間にスケートの時間があるのですが、スケート靴の着脱って結構面倒ですよね?特に子供は自分で出来なかったり。なので親が順番に行って手伝うという奉仕活動があるのですが・・・それに行ってすっかり風邪ひいてしまいましたよ!スケートリンクの際で1時間半待たなくちゃいけないのでダルマのように着膨れして行ったのですが、その甲斐もなく案の定すっかり冷え切ってしまいまして。
スケート競技を専門になさっている人って、女性でも多分冷えに強いのだろうななんて考えていました。
これは1610年のオランダでのスケートの様子
さて。
算命学的に見て
甘やかされると伸びないから、厳しい環境に身を置く方がいい人
そういう環境で育つ方が宿命の良さが発揮されやすい人
は結構います。
こういう表現は結構頻繁に出て来るのですが、見るたびに何ともざわざわします。
その『厳しい』はどれくらいなんだよ?
そこ相当注意しないと駄目だろう と。
成人以降であれば『厳しい』に突っ込んで行って行き過ぎたとしても、いくらでも自分で動きようがある。キツければ仕事を変えることだってできるし、住む場所を国外にだって移せたりもする。ちゃんと逃げ場を見つけて、一旦仕切り直して再スタートできる。なので大人に関してはどうぞご自由に、なのです。
しかし子供に関しては。
厳しめに育てる方がいい子は沢山います。親が蝶よ花よと甘やかして、欲しいものは何でも与えて、希望さえすればチャンスを準備してあげて・・・では人生が駄目になってしまう子はいる。子供を大事にし過ぎることで、子共の気質が伸びるチャンスを叩き潰してしまうのです。そこは気を付けようよと。
算命学で言われる『厳しく』とは暗黙の了解で 常識の範囲内での厳しさ です。
でもね、よく考えてもみて下さいよ。
子供を育てる中で
これくらい大事にする・これくらい厳しくするのは普通
の許容範囲は各家庭によって全く異なります。つまり各人によって『これくらい常識でしょ』の水準はバラバラです。かなり差があるといえるでしょう。
一般的、常識的、人道的感覚を持つ人が親であれば、多少の誤差程度ならまあいい。
私が『厳しく』の部分で毎度なんともぞわぞわするのは、たとえばこういうケース。
新聞に出るような極端なケースなんて殆ど存在しない、大抵はちゃんと常識の範囲内で考えられるでしょう?
と素通りできる人は、ある程度まともな環境で育ってきたのでしょう。
親は子供のことを愛しているものだ
親は何だかんだ言ってもちゃんと子供のことを考えているよ
心身が壊れるほど子供を痛めつける親なんていない、子供が何か悪いことをしたんでしょう
虐待?その辺によくあるただの親子喧嘩でしょ?
とさらっと平気で言えてしまう人も同じく。
でも現実はそうじゃない。
人間は強くもあるけれど意外に弱い生き物で、自分を律することができない人は大勢いる。山ほどいる。
特に上下のある人間関係において自分が上の立場に立った時、目下の立場にそれがあからさまに出る。それも無意識に本性剥き出しになる。
それが閉じられた関係であり、家庭といったような外の目が届かない閉じられた空間であればなおのこと。
ましてや対峙する相手が子供という腕力も知力もまだまだ乏しい弱い存在であったならば。
上の記事は氷山のごくごく一角なのです。
弱い人ほど歯止めが効かなくなります。
まともな愛を成長過程で受けられなかった人ほど、常識を逸脱した非人間的扱いを当然のものとしてしまう。だってそれしか知らないから。
そしてほぼ治外法権のようになっている家庭という閉じられた空間で、子供への暴言・暴力による虐待はとどまるところを知らず、まるで『どこまで行けるかの実験』であるかのように度を越していく。
それは無意識の流れであり、当人はそれを繰り返すうち
親は自分の子供には何を言っても、何をしても許される、何故なら親だから
と当然のように思い込む。そして子供の人生を自分のしょっぱい人生の敗者復活に使える駒だと思い込む。
マズいことになったら『躾だった』と開き直る。
本気で自分は0.1㎜も間違ったことはしていないと疑うことすらない。
この事件も母親の狂信的な娘への執着が分かり過ぎて辛すぎる。
私が『厳しく』の言葉にぞわぞわするのは、上記のような子供の虐待を自然当然のことと思ってしまうような人間たちはこの『厳しく』という言葉に飛びついて、自分に都合のいいように極大解釈するのを知っているからです。ほれ見ろ、厳しくして貰ってありがたいと思え!くらいのことは平気で言います。
狡賢く卑怯でお腹の中が真っ黒な人というのは、一旦自分に都合のいい黒い怠惰に流れ始めるとその増長はとどまるところを知らない。そういう人がここに飛びついたならば、とつい危機感を感じるのです。
上に貼ったいくつかの記事では子供が物理的に壊れてしまった、命を落としてしまう結果になりました。
子供はしかし物理的にだけではなく、精神的にだって意外に壊れやすいものです。心身ともに弱さがあるのだから、大人と同じように手加減なしに体当たりで何やっても良いという相手ではない。
それを絶対に忘れてはいけませんね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
しかしご著書の中で『厳しい環境で』が何度も出てくるにもかかわらず、そこを本当にさらっとその一言で通り過ぎておられる高尾宗家は、非人間的な扱いが何年も何十年も続くえげつない虐待とは無縁で生きてこられたのだろうなとよく思います。もし自分が当事者であればそこに必ずアンカーが引っ掛かるものだからです。
The Sale of the Child Slave, 1872 by Vasily Vereshchagin
子供を奴隷として売買の対象にしてんじゃねえわカスどもが。
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