死期については占わないのがルール
などとまことしやかに囁かれます。
基本算命学では『 聞かれてもいないことに答えない、余計なことは喋らない 』がルールなので、死期もまあ張り切って話題にすることでもないよね?というのはよく分かります。
ただ上の緑文字で書いたルールについて私が引っ掛かっていることが2つ。
◆ 一つ目: 死期を決めるのは人間じゃない
何よりもまず、算命学で死期が100%分かるなんて傲慢にもほどがあるって話です。もし干支から成る誕生日を元に死期が計算できるのであれば、全く同じ日に生まれた人は全員同じ日に亡くならないとおかしいということになります。ないわ、そんなこと。ないない。
但し『 この辺は運気的にかなり苛酷になるから、その時までの生き方次第では十分に気を付けないといけないな 』は分かります。もし算命学鑑定師さんで死期が100%読める!という方が万一いらっしゃるのであれば、そういった算命学的観点からの推測に、かなり鋭い予知能力や透視能力など持って生まれた霊感的特殊能力を加味してらっしゃるはずです。
それでもね、やっぱり100%は読めないと思うのですよ。だって未来は決まっていないから。それまでの生き方・在り方を見て、人の手の届かない範囲の存在が判断することだから。
◆ 二つ目: 死を禁忌する盲目的態度
人間予測のつかないことは怖いですよね。大抵の人にとって予測のつかないことの最たるものと言えば死、ということになります。
でも 分からない → 怖い から来る 死を禁忌(タブー視)する背景 には、あまりにも問答無用で当然とされてしまっている
死 → ぎゃああああ・・・!暗い、怖い、縁起でもない!運最悪、だって古今東西皆そう言ってるもん!そんな話ばっかりやもん!皆怖がってるから絶対怖いものやもん!やめてーうわああぁぁぁぁ・・・!!
的 完全思考停止の恐怖から来るパニック心理状態 があるはずなのです。
ちょっと待て、と。
時代は21世紀、今はもう2022年。
もうそれ、そろそろええやろ?と。
飽きもせずいつまで逃げ回るのかと。
いいから落ち着け、落ち着くんだ。
猿の惑星はそろそろ卒業しませんか?と。
死は怖くない。もともといた世界に帰るだけ。むしろ元々いた世界こそが我々のメインとなる居場所であり、こっちの世界には期間限定であれこれ経験しに来てるだけですよ?
というのが分かれば、そしてそのように全人類の大前提が覆れば
死期については占わないのがルール(キリッ
とは 絶対にならない はずなのですよ。
私には幸か不幸か?あちら側の世界の記憶がある。小さい頃からあるけれど、年を経るごとにあちこちから情報が入って(といっても言葉ではなく芸術が回路となって)記憶が更に増えている。
なので当然自分のこの先の人生を何パターンか想像して
(後天運を見て)この辺アレやから、ここで終わる場合はこの辺りでこういう準備をして、この辺までにはこれを仕上げたい
とか
この時期に人生終わらない場合はこれくらい長くなりそうかな、その場合にはこういう準備はしておかないといけないな
とか計画を立てつつあります。
ていうかおおよそでも そうやって計画立てられた方が断然いいと思う のです。いやもう何が駄目なのか0.1㎜も分からない。
人生の中核に切り込んで相談に乗る役割の占い手が
うわあああああ、死、怖い!怖い!タッチしちゃダメ!縁起でもない!無視無視!だって駄目って言われたもん!聞かないで、聞いちゃダメ!知らない!さよならっ!!
と率先して砂に頭突っ込んで隠れる・・・というのは一体何なのか??と思うわけです。
何故そうなっているのか、その前提を考えてみはしないのだろうかと。
もちろん死期については聞きたくないというより特に興味がないという方もいらっしゃるでしょう。その辺は天に任せ生きている間に出来る限りのエネルギーを燃やし切りたい!だからそれについて算命学の力を借りたいな、というような話であればとてもよく分かります。上記の通り聞かれたこと以外は答えませんので、私からお話しすることも全くありません。
でも多くの人が当たり前のように鵜呑みにしてしまっている大前提、それが違うんだよ・・・とよく思うので書いてみました。
私にとって死というのはイメージに直すとこれが近いかな。
言ってみれば
何浪もして頑張って念願の志望校から合格通知やっと来た!やっとよ!?
うわ~おめでとう~!!この世での課題全部パスしたんだ?すごいやん、頑張ったんだねえ。それで合格判定が出たんだ、良かったやん~!!
なのです。ていうかそれ以外に何かある??(真顔)
本日もお読みいただきありがとうございました。
コメント