一人で落ち着いて時間を過ごせると家族のありがたさを思い、家族と一緒にいると一人時間の楽しさが再確認出来て、どちらもいいですね。両方を愛しく思えるって贅沢だな。
ひとりで街を散歩していて考えていたのですが、何で私はこう毎度毎度というかいつもへっとへとに疲労困憊するまで頑張ってしまうのか。もっとほどほどにゆったり生きればいいかも知れないのに。
一つには多分、若年期天将星だった頃の習慣がまだまだ記憶に残ってるのだと思う。慣性の法則で突っ走っている部分もあるかもしれない。天将星という星はとにかく常にエネルギーに満ちているので、それを満足に使いこなさないと自分で『 これではいけない 』と焦ってくる。エネルギーが余るのに焦るの?と思われるかも知れないけれど、余ったエネルギーは何というかごみを捨てるようにポイっとその辺に捨てられないので、自分で消費するしかスッキリする方法がないのですよ。
( なのでエネルギーを持て余している陰転した身強は手に負えないのです。)
自分で『 人よりエネルギーがあるな 』と自覚していた若かりし頃は、極限のへとへとになるまで勉強とか楽器練習とか自分のすべき活動に真正面から取り組み、日々燃焼し切ってやろうと毎日意識して生きていました。算命学も四柱推命も知らなかったけれど、今思えばまさに大正解な日々の過ごし方だった。とにかく出し尽くそうと。そうすれば結果はどうあれ、後悔はないだろうと考えたのです。その時の生き方が習慣になって私の中に残っている。
また、自分の中で牽牛・車騎カラーの占める割合が大きいので現実的に活動し尽くさないとスッキリしない。中途半端だと『 これじゃ駄目だろう 』と自分にイライラしてくる。
また調舒星も冲動2つも、その他どこをとっても中庸とかぼちぼちといったカラーがないので、結局天将星の時期を過ぎ天報星メインの今も極限までエネルギーを出し尽くす日々を送っているのだろうなあ。
でもそれでいいのだろうな、とも思う。
算命学は陰陽・五行をベースにバランスで考えていく学問ですが、それが多分私なりのバランスの取り方。それが私が人生を上手く乗り切る上でのベストな方法なんじゃないかなと思っている。周りから見ると極端だったり変だったりしても、自分の世界の中では上手くバランスが取れてる(はず)。
例えばとことん頑張るにしても『 老後平和に暮らせるよう2000万円蓄積するために精一杯頑張る 』というバランスのとり方をする人もいると思う。自分なりの充実した人生の実現方法は、できるだけあくせくせずのんびり日々を過ごすことだ、という人もいるはず。それぞれが満足いく人生を送るために上手くバランスを取っていくにしても、そのやり方は個人個人で全然変わってくる。そしてその上で実現される満足な人生の在り方も全然変わってくる。そしてそれでいい。方法も過程も結果も千差万別でない方がおかしい。
多分エネルギーを日々出し切って、極端から極端へ走らずにはいられない私は、今後もこうやって少しの時間もエネルギーも余すところなく、自分と家族に必要なことに使い切る生き方をするのだろうな、なんて考えていました。
というわけで明日家に帰ります。そして双子の誕生日をお祝いしたら、今度は家族でパリです!
Paris 1912 by Konstantin Korowin これも昨日Barberini美術館で観てきた絵
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