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人生を疎かにすると自分の存在の真ん中に空洞が出来てしまう話

 

数か月前に中国版『 陰陽師 』の映画をNetflixで観まして。

これは予想外にといいますか、あまりにも斜め上な感じですごい面白かったので映画の感想はまた明日書こうと思います。

 

さてこの映画を観た時、最初の方にこんな場面が出て来ます。

 

鳥居の向こうに大蛇がずるずるずると右に向かって這いずっていくシーンなのですが

これを見て、もの凄い うげげっ・・ となりましたよ。

昔実母が飛ばして来た生霊が、私の夢に蛇の姿をして何度も出てきていた、まさにあの蛇!という感じだったからです。

このシリーズ記事です:

幸せを願う念と黒い念(1)
日本人の皆様には源氏物語の末摘花 ( すえつむはな ) でお馴染みの生霊 ( いきりょう ) ちゃうちゃうー! それ六条御息...

 

息を吐くように〇〇する

という言い方がありますが、彼女はまさに

息を吸う、その息を吐く時には無駄がないよう必ず悪口、陰口、暴言

人を貶め傷つける侮辱の言葉やヒステリックな叫び声を出さなければ気が済まないといった感じでした。

きっと言葉に色がついていてそれが見える人がいたら、彼女の周りには真っ黒な煙が滞留しているのが見えたでしょう。

 

今でもはっきり覚えている一場面があります。

その時私と母は玄関にいて、私は立っており彼女は座っていたため私が斜め上から彼女を見下ろす感じになっていました。

彼女はその時違う方向を見ていたので、私とは目が合っていませんでした。

その時もいつもと同じく大きなため息をつきながら

はぁ~。ほんっとアンタもういい加減〇〇してくれないかしらっ!怒

( 成績を上げろとか、家事をもっとしろとか、いい大学に入れとかそんな内容 )

はぁ~。アンタがそんなだから私が全然落ち着いて生活できないじゃないの!

いつになったら安心させてくれるの!!?

アンタのせいでうんたら・・アンタのせいで・・・

みたいな全く内容のない、愚にもつかない言葉が、そりゃもう立て板に水状態で延々ペラペラ出てくるわけです。

( 壮年期が調舒+天将なので毒舌で右に出る者はいません )

( ちなみに自分で言うのも変ですが、私は非行にも不良にも思春期の反抗期にも全く縁がない子供でした。

部活すら許されず分単位で見張られコントロールされて外にも出られないのに、一体どうやって?って話です。)

 

腹のイライラをぶちまけられ続ける中、彼女が私を見ていないのをいいことに私は何となく彼女の様子をじっと観察していました。

休みなく次々と繰り出される文句、愚痴、八つ当たり、暴言、溜息の数々。

それはまるで何かに取り憑かれたように、母ではない何か得体の知れない存在が

母の体と口を借りてマシンのように機械的に黒いものを吐き出し続けている、そんな感じでした。

そこでは彼女の意思や思考、主体性、感情といったものがとても希薄だった。

当時はそういうのを『 気のせいかな 』と誤魔化していましたが、今考えると確実にそれが見えていたのだと分かります。

彼女のあまりにリアルな内側の空洞感は手に取るように分かり、そこには

はっきり何か別の存在がいる、それは乗っ取られている本人と性質が同じであるナニモノかだった。

 

昨日の記事にも少し書きましたが

『厳しく育てる』がどうも苦手な私とそれが出来る夫
子供の命式を読んで、理想的に芽が出て花が咲くように導くにはどうすればいいかというのが算命学では分かります。 分かる。 しかし! 分かったからと言ってそれを出来るかどうかは別問題。 私の...

自分ですべきことをしない、自分や自分の人生から逃げ続けていると、その存在の真ん中が空洞になります。

空洞が出来るということは、そこに何ものかが入り込む隙を自分で作っているということ。

往々にして、その人間と同じ気質のものを呼び込んでしまいます。

自分と全くカラーの違う何かは入り込んで来ない。

じゃあ何かに乗っ取られる人は可哀想なのかと言うと、そういう人は実は

無意識ながらも自らそういった存在を自分の中に招き入れている、呼び込んでいるのです。

 

何故なら空洞は空洞のままでいられないから。

空洞があるというのは本来の自然の在り方とズレるので、大変苦しい。

だからといって、じゃあ自分で自分や自分の人生に本腰を入れてどうにかしよう!という意識が皆無であるからこそ

ナニモノかに忍び込まれるような空洞を作ってしまっているわけです。

自分で頑張るのは嫌だ。でも苦しい。

誰か何とかして!

と無意識に思っていれば、そりゃぁそういったところにつけ入りたい何かは大喜びで寄って来ます。

 

そこでまた映画の話に戻るのですが、これ を見て

そう!そうなんだよ。よく知ってますね。

なんて思ってしまいました。

 

嫉妬の念は誰でも持ちますよね。

誰々はいいなあ、羨ましいなあ、と。

それはごく自然な感情であり、持ってもいいのです。悪くない。

 

でも自らやるべきことを疎かにして怠惰に流れ、誰かに何とかさせようとする

思うようにいかないことを常に誰かのせい、環境のせい、モノのせいにする。

自分で腹を括って何とかしようという努力を微塵もしない。

そして上手く行っていそうな人、幸福な人を目の敵にし、チャンスがあれば足を引っ張って引きずり降ろしてやろう

叩き潰してやろう、そうなればきっと清々するだろうなあ!

といった妬嫉は自分で自分の中心に空洞を作り出し、良からぬものを引き摺り込んで人生を乗っ取られ、負のスパイラルに陥るパターン。

上の映画ではそういった人々の妬嫉の念が集まって巨大になったものを、分かりやすく大蛇で表しているだけなのです。

 

 仰せのとおり。

 

人間は弱いかも知れないし、別に弱くてもいい。

弱いながらも自分の足で進んで行って、自分の人生を放棄さえしなければいい。

自らを奮い立たせて持てるエネルギーを自分の人生に向けて使う時、そこに誰かを羨む気持ちがあっても自分の真ん中は空洞にならない。

そこには訳の分からないものがつけ入る隙はない。

 

上のシーンだけで、そんなことを考えました。

 

 

余談:

しかし私は当時算命学を知らなかったし、陰陽師ももちろん知らなかった。

なのに妬嫉の念=生霊が蛇の形を取って現れたというのがとても不思議です。

私は恐竜が大好きなので巨大なワニやコモドオオトカゲなんかも大好きなのです。

なので爬虫類は嫌いじゃないし、蛇にしたって蛇は蛇なりに頑張って生きているだろうに

人間に勝手に悪い念のモチーフみたいなイメージを持たれていい迷惑ですよね。

 

 

明日はそういうわけでこの映画の感想です(重くないです)。

 

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