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死に対する感覚の違い、次男が泣いて(私が)反省した話

 

時々こちらにも書いているのですが、私には物心ついた頃からあの世の記憶が少しだけあり

あの世に帰りたい

という気持ちがあります。ずーっとあります。

 

幼少期から

なんで私はこの体に入ってるのか?

移動しようと思ったらわざわざ歩いたり走ったりしなくちゃいけないし

意思疎通はいちいち言葉に直さなくちゃいけないし

その言葉もいちいち習わなくちゃいけないし

ちゃんと習ってちゃんと表現したところでちゃんと伝わるわけでもない

思いを実現させるのに努力してあれもこれもコツコツ準備して積み上げてと面倒臭いったらありゃしない

そして頑張ったところで思うようにいくという保証もない

なにこの非効率で超不自由なシステム!?

とホントによく思っていましたし今でも思います

あの世は思い即実現の世界なので、何もかもが違うから。

 

私たちは皆あの世から来てこの世でちょっと滞在し、やることやったらまたあの世に帰る。

誰しも本来の居場所はあの世だし、あの世はこの世みたいな地獄みはないのも知っています。

なので死に対する恐怖なんてものは意味が分からないし(死に方に関しては人並みに恐ろしい)

死ぬということは『 今世でやるべきことを仕上げましたね、合格!帰って来ていいよ!』の許可が出るということだと知っているし、本来はむしろ喜ぶべきことなのも知っています。

おめでとう!といって送り出してあげるべきことと言えばいいでしょうか。

 

この世とあの世は重なり合って存在し、こちらから向こうは(基本)見えない・分からないけれど

向こうからこちらは見える、というより向こうの存在にはこちらの中身・本音は直通の丸出しのモロバレ。

 

Swans, 1956 by Escher

 

そしてこの世にいるとなかなか感知し辛いけれど、目に見えないあちら側の世界の存在が山ほどこちらの世界の運営に協力してくれていることも知っています。

 

また、あの世に戻ればこっちにいる間には分からなかったあれこれが全て隅から隅まで分かるようになる。

あの時何故あの場所でこういうことが起こったのか

そこにいた人は〇〇と言っていたけれど、本当は△△のつもりで言っていたのだな とかね。

その壮大な答え合わせ、ネタばらしがまたとてもとても楽しみなのです。

 

これらはたとえば外国にいて『 日本に一時帰国したいなあ 』という望郷の念

外国で日本のものを見つけて、たとえそれが日本の100均の大したことないようなものでも 日本の というだけでつい愛情込めて大事にしてしまうあの感覚

そういった祖国に対する感覚の100倍1000倍くらいの大きな望郷の念として

あの世に帰りたい

がいつ何時も私の中にずーーーーーーっとあるのです。

ここは長くいる場所じゃない。

という感覚。

 

そんな感じがデフォルトの私。

この間子供たちと外を歩いている時に、次男が

お母さんが80歳とか90歳とかもっと年取ったらナンタラ~

という話をしたので

ああ、お母さんは長生きするつもりは全然ないよ。

80歳とか絶対ない。

と全く普段通りの調子で言ったのです。

 

そしたら・・・次男が泣きましてね。

めちゃくちゃ驚いてしまった。えっ、泣くんだ!?と。

そっか、死に対する感覚は私と周りの人では全く違うんだった!

しまった、不用意に傷つけてしまった・・

とエライ後悔しまして。

 

長生きするつもりは断固として皆目ございませんが、あっちに帰れるかどうかはあちら側が決めること。

いくらこちらで切望しても、やることやってなかったら追い返されます。

十分点が取れなければ資格試験も不合格を食らってしまうのと同じ。

なので出来そうなことは片っ端からやっていく。

そして子供の前では不用意な発言をしないといたく反省しました。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

子供たちが成人して

オカンに大好き大好き言われんのはもうええねん

と鬱陶しがられるくらいのお腹一杯!なタイミングでスパッと人生終えられたら最高。

そんなことをよく思います。

 

Maria Van Rysselberghe with Crossed Arms, 1913 by Théo van Rysselberghe

死ぬまでに1度は髪の毛を完全に真っ白にしてみたい。 

 

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