昨日の記事で
人間として生まれてくる最終段階人生も、そこに向かう道中である現在の人生の意味も知っている
ここのお部屋に泊まりたい!モン・サン・ミシェルがバルコンから見えるなんて、何と贅沢なのでしょう。 Sieh dir diesen Beitrag auf Instagram an Ein Beitrag geteilt von Mont S...
私は今世でご恩を受けた人に次回の人生でバックアップする役をお願いされたらもちろんさせて頂く所存ですよ!というお話をちょろっと書きました。
これ、こんな風に皆さんも誰かの役に立つ計画で生まれて来ていたり、また逆に誰かに助けて貰う約束で生まれてきていることも多々あります。
そしてこれは別に次回の人生丸ごとかゼロかみたいな極端な話じゃなくて
- よし、じゃああなたが子供の時代に助ける人として現れるね とか
- 仕事をし始めて、あなたが目標にしている〇〇に到達してそこからステップアップ → 次の分野に移るまでの時期に助けるわ とか
- お互い社会の第一線から引退してそれまでぼちぼち予定通り(宿命通り)進んできてたら、寂しくないように出会って仲良くするようにしようか とか
- △△の時期にライバルとして現れるわ、そうしたら互いに切磋琢磨し合えるでしょう とか
- 然るべき時が来たら困っている人としてあなたの前に現れて『 誰かを本気で助ける 』という経験をさせてあげるよ など
ある程度ざっくりした約束をして生まれてきている部分ってあります。
なので学生時代仲良かったのに年を経るほどどうもしっくりこなくなって寂しい・・・とか、仕事仲間で上手く行っていたのにある段階から疎遠になっちゃった、何か悪いことをしたかしら・・?などと気になることってありますよね。
もちろんこちらがとんでもない無礼を働いたなどということもあり得ますが、それ以外にも上に書いたような『 期間限定のご縁 』で計画通り、その段階は卒業したという合図が出てるんだよということもあるのです。
だから自分の人生が次のステップに移る時、誰かとの縁が切れてしまっても別に悲しむ必要はないんですよね。確かに残念だったり寂しかったりはするけれど。繋がっている縁であればまた今世で繋がることも、死んだ後に繋がることも大いにあり得るから。そしてまた必要なご縁は必ず現れて来るから大丈夫。
このお二人も演劇が終われば衣裳を脱いで別々の生活シーンへ移っていく。それと同じ。
Jesters, 1885 by Viktor Vasnetsov
本日もお読みいただきありがとうございました。
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