私がいたクラシックギターの世界は、殆どが男性です。
女性で演奏家として活動しているのは全体の1桁%、ほんの僅か。
その男性陣も殆どが白人男性。
アジア人はごくたまにいるくらいで、圧倒的少数派。
南米の人もごく少数ではあるけどいる。黒人・アラブ系は見たことがない。
そんな中で活動する20代後半~30代前半、女性、しかもアジア人の私は究極に異質でした。
でも珍しいからこそ?皆さん本当に良くして下さった。
私がヨーロッパで演奏した場所も、日本人どころかアジア人なんて全然見かけないような田舎であることも多かった。
嫌なこともなかったわけではないけれど、親切に大切にしてもらいありがたかった記憶の方が圧倒的に多い。
なので心細かったことなんて殆どなかった。
でもね?
そんな環境でごく稀にアジア人に出くわしたりすると・・・
目が合った瞬間、お互いにホッとするんです。
相手の老若男女問わず。
その時の感覚というのは
あ、仲間だ とか
隣人を見つけた とかではなく、もっとガーンと全部飛び越えて
おぉ、家族よ!!
という感じ。
近いのですよ。とにかく近い。近い存在。
そして相手も全く同じように感じているのがハッキリ分かる。
あの異質な空間。
いや、私自身が周りにとって完全に異質な存在になってしまう環境において
あの仲間を見つけたような、心の芯がホッとするあの感覚を一度経験してしまうと
これ以上ないほどハッキリ分かるのです。
近隣諸国の人ほど自分たちに似ている、近しい仲間なのだと。
大切に関係を築いていき協力し合うべきは近隣諸国の人なのだと。
あれが私の 世界における “ 日本人と近隣諸国人との関係 ” を認識した原体験。
もちろんそれまでにも韓国、中国、香港、台湾などの友人は結構いました。
でもそれらの友人とのつながりは、他にも沢山アジア人がいる環境でのこと。
人種・文化の面で自分と共通点がある人が全然いない環境で、皆に親切にしてもらい
特に困ったことも心細いこともなかったにもかかわらず、同じ人種系列というだけで目が合うだけでホッとするあの感じ。
以前これと全く同じことを仰っている人がいました。
その人は何かの学者さんで、世界のこれまたアジア人なんて全然いないようなわりと僻地にまで
学会や研究で行っていらっしゃったようで
そんな環境の中、同じ東アジア人を偶然見かけて目が合うと
人種が同じというだけでその瞬間に互いに無言でも繋がり合う
あれを経験すると韓国人、中国人、香港・台湾人など絶対に仲良くし、大切にしていくべき仲間だと骨身に沁みて分かる、と。
そうとしか言いようがないのだ、と。
この感覚はずっと国内にいたり、動いている範囲がアジア圏だけだと分かりにくいかも知れない。
でもおそらくどんな人でも、私や上に書いた学者さんのような経験をしたら同じように思うはず。
とここまでは実は前置きで、思いのほか長くなってしまったので続きは明日。
何の前置きかというとこのドラマ
『 ミスター サンシャイン 』 について書きたいからです。
ではまた明日。
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