秋の黄金色の木々を見て
「 ベルリン天使の詩 」 の天使側のあの世が何故白黒か違和感を覚えていたのが
氷解した
という話の続き:
あっちの世界というのは、
心象風景即現象化、即環境
つまり、何もかも全て思い通りに叶う世界。
これ、つまり
全て何もかも思い通りに叶う ということは
何もかも全然叶わない
というのと全く同じ なんだわ
と分かったのです。
正反対のようで同一。
裏表の関係というか、全く同じことを表してる。
自分を取り巻く世界を
瞬時に
どんな風にでも
自由自在に、隅々まで実現できてしまう。
これが嬉しいのは、なかなか実現できないという壁や抵抗があるからこそ。
何もかもすんなりいくならば、それは色とりどりであろうが白黒であろうが
究極的には、自分の内側に起こす変化 ( 喜怒哀楽 ) に変わりはなくなるわけです。
一方この世界では
ある状態に辿り着くためには
やらなければならないことが沢山あったり
必要な変化の過程があったり
一定の時間の経過が必要
そして頑張りによって、環境によって、運によって
叶ったり叶わなかったり。
だからこそ願望が達成した暁にはその状態がより鮮やかに、映える。
変化が生命
抵抗ある世界で進んでいくことが生命
時間の経過自体が生命
全て何もかも思い通りに叶う ということは
何もかも全く叶わない というのと全く同じ。
何もかも瞬時に完璧に叶い過ぎな世界なのか ( あの世 )
希望を叶えるのに乗り越えるべきハードルがあり過ぎるのか ( この世 )
極端すぎるやないかい、中間持ってこい中間~!
という感じですがw
おそらく向こうでは経験できないことを存分に味わい尽くすために
こっち側の世界はこんな面倒臭いしんどいことになってるのでしょうね。
余談:
これ皆さんに分かるように
黄金色の秋の木々が好き
↓
黄金色に見とれる
↓
「ベルリン天使の詩」の白黒の違和感を思い出す
↓
全て何もかも思い通りに叶うということは
何もかも全く叶わない
というのと全く同じ
ということが分かる
↓
こっち側の世界の面倒なシステムの意義
と 時系列 で書いていますが
本当のところはこの流れの全てを
あらゆる方向から内側にギューッと凝縮して
針で突いた一点くらいになったものが
私の内側にぽんと飛び込んできた
というよりも
飛び込んできた凝縮一点が私の内側でいきなり展開した
という感じなのです。
多分あの瞬間あっちに繋がってたな ← 時々ある
が、その展開されたものの中に
電気抵抗
がありました。
中学校で習う
R= V/I
オームの法則
ですよ。
この電気抵抗は
- 物質の種類
- 温度
- 長さ
- 断面積
によって変化します。
これつまり・・・
電気自体が私たちの人生を象徴しているのだろうな、と。
電気抵抗については このページ が分かりやすいです。
と、多分殆どの人が分からない話で終わるw
Constantin Kluge (1912-2003) Les quais à Paris
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