前回の記事の続き

このマルクスの、どすんと運気が沈む時期に子供たちがそれを肩代わりして・・というの、似た感じの命式で最近も誰かいたなあ?
と思って探してきました。そうそう、これだった。ドヴォルザークだ。

恵まれた出自、且つ白人男性圧倒的優位社会に白人男性としてありながら自活できないほどの経済的無能。にもかかわらずじゃんじゃん妻に子を産ませ、病気になった子に治療を受けさせるお金も葬式代もなく、ダメっぷりは続くよどこまでもの話は前回の記事通り。

そんな中、娘の1人エレノアは頭脳明晰で父の思想を幼少期から理解するような学問に目覚めた子として育ちます。
命式を見ると優秀なだけでなく才色兼備を思わせますね。
姉のイエニーとローラももちろん父の政治教育を受けたが容姿も母そっくりで、母の道、つまり妻としての道をたどった。
だがエリノアだけは父の生き写しとなり政治に強い関心を寄せたのだった。
ううううう・・・この辺り、この母ヨハンナさん(つまりマルクスの妻)の命式を見ると
子供たちはそうならざるを得なかったのでしょ?
でないと生きていけなかったのでしょう?
と思ってしまいます。
このお母さま、ヨハンナさんはご苦労なさったと思いますよ。記事にもマルクスの駄目っぷりが明かされていますが、それがなくとも命式から色々見て取れる。家族を大事にする気持ちは強く、でも夫婦運は難しい。難しい時に目上からの流れや援助を受けていい形なのに、受けるとマズいという矛盾も強い。
壮年期が天将星ですが、人生の真ん中が天将星でもなければ生きていけないような環境だったのでしょう。
そうなるとその強さ、きつさ、日々のままならぬ生活から来る憤懣遣るかたないはけ口は物分かりのいい長女に行くものです。
ああ、でも。
ここまで書いて家族の命式をとりあえず全部出してみたのですが、他にも色々調べていくと知れば知るほど私が苦しくなってきた。
見づらいですが家族および関係者の命式一覧はこちら。
この記事にはないのですが、マルクスは1845年に当時のプロイセン国籍を正式に離脱して無国籍者となっています。これがどういうことを表すかと言いますと
19世紀当時ドイツやベルギー、フランスで「無国籍者」であることは、どの国の法的保護も受けられない「外国人」以上に不安定かつ危険な状態を意味していました。
● 法的・社会的な意味
国籍を持つ者はその国家から外交的・法的な保護を受けることができますが、無国籍者にはそれがありません。
居住国においても外国人として扱われ、逮捕・国外追放や不当な待遇を受けても本国政府による外交的保護(庇護)が一切受けられない立場です。
● 実生活上の困難
政治活動や表現の自由も大きく制限されるほか、財産権や労働の自由、社会保障に関わる権利が著しく制限されました。
住民登録や戸籍ができない場合も多く、公式な身分証明を持てないことで日常生活のあらゆる面で困難を強いられました。
P. Nasarow, Karl Marx
震撼するわ。
1845年に国籍を自主的に無くした時点で長女は1歳。
その後10年に渡って長女含め6人の子を成し、うち3人は早逝。
残った3人のうち2人は自死。
1人は38歳で死去。
この青葉被告の家族や

山上被告の家族が頭を過ぎるというものです。

資本主義は貧富の格差がどんどん開いて最終的に崩壊する~以外、マルクスがどんなご高説を垂れたのか存じ上げませんが、思いが至らない人は
国籍を失ってまでも体制派に反旗を翻し自説を貫いたカッコいい人
なのでしょう。
でもな、やってもいい。それやってもいいけど一人でやれ。家族を巻き込むな。
ちゃんと自分で働きながら自活してやれ。妻の母ちゃんに小遣い貰って口に糊する生活で、一丁前に子供を見境なくじゃんじゃん作るな。3人も死んでるやないか。
日々の生活の地味な面倒ごとを家族に全部丸投げして、自分だけ美味しいとこ持って行こうとするな。その不自然すぎる生活の歪みで、娘が後に2人も自死してるやないか。
彼は経済学なんて現実的なものを扱っているようで、本質は現実逃避の人。どこまでも空想の世界に遊びたい。
現実とは日々の生活であり、それを成り立たせていくための面倒臭い雑事を一つ一つ逃げずに解決していく作業。でもそこのところは面倒だから妻子に丸投げして~でも強く大きな力には反発する革命家は気取ってみたい♪な外向きには自己犠牲も厭わないヒーロー気分。
今現在でもそうですが、当時はなおのこと家庭内なんて舞台裏に光が当たることはない。ドイツで女性が銀行口座を持てるようになったのは1960年。そこから遡ること約100年の時代では女性の人権は今より遥かに薄く、どれだけ家庭内の力関係が歪み切って猛毒の沼に沈み切っていても誰も気にも留めなかったでしょう。
その歪みは全て次世代へ持ち越されます。
ダメだ、マルクスのカスっぷりがこれでもかと目についてエレノアまで辿り着かない。
続きはまた次回。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ちなみにこれは私の好きなフランス画家、Eugène Louis Boudinの「洗濯婦たち」という絵。
これとか
これとか
彼は洗濯をする女性をよく描いているのですが、マルクスと同じ世代の人。つまり洗濯一つとっても洗濯機などなく、暑い日も寒い日も川や海に出て手洗いするしかなかった時代。大家族であればどれほどの重労働だったでしょう。
スカポンタンな夫が国籍すらなく赤貧洗うが如しの生活を強いられ、多産DVかよ!?くらい子供を産まされた妻には何もかもが想像を絶する苦難であったことでしょう。
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