人生を踏み外さないために既定のレールの上に乗ってきっちり生きることを目標とする、王道派のステレオタイプの生き方を実現したいタイプ
を自任している方を見たことがあります。
ええっ、すごい!こんな人本当に存在するんだ!!
と天然記念物をナマで目撃!くらい心底驚きますよね。ええ、驚くんですよ。そんなまともなこと今までの半世紀の人生で1度たりとも脳内を掠めたことのない私には衝撃なわけです。
それを馬鹿にしているわけでも良い・悪いを語っているわけでもありません。
もちろん算命学を知った今、そういう人がいることは百も承知ですし、実際その方も『さもありなん』というそのまんまの命式でした。いや、算命学知らなくてもそっちの方が圧倒的多数派かな・・・ね。
はい、その算命学。
こちらのサイトは算命学のサイトでございます。そうなんですよ、音楽とか子育てネタが多いけど。
でも最近なーんか記事がぼんやりしているなあ・・・と自分で感じています。キレがイマイチだよね。
しかしそれは私が算命学に対する情熱や興味を失ったとかそういう話ではありませんよ?
最近も陰ながら原典を読み、その途中で
あ、これって心技篇に載ってたよなあ
と思い出し心技篇を見直してみたらこちらがまた面白くって!しばらく心技篇にハマっています。
何故記事がぼんやりしているかというと、算命学って知れば知るほど
どこまで書いていいものだろうか、これ?
と考え込んじゃうのです。まだ今ほど良く分かっていない時の方が無邪気にあーだこーだ書けてたわ。
この
どこまで書いていいものだろうか、これ?
に関しては、手の内を明かしたくない!みたいなケチ臭い話ではなく
あんまり色々書いちゃうと微妙に知識がある人なんかは誤解して傷ついたり、恐怖感を持ったりしないとも限らないな
とか
その命式の人も話題にされたくないかも知れないしな
などあるわけです。なのでどなたか例を挙げて記事を書くにしても外国の人とか、随分前に鬼籍に入られている方などをメインに、もし存命日本人に関してなら特に極力良いことにさらっと触れる・・・くらいになっちゃう。そうすると記事はやっぱりボケ気味になりますよね。
更には次の理由が大きい。
勉強熱心な方々はネットで出来るだけ情報を得ようとなさいます。それは全然良いのです。
ただ本当に多くの方々を鑑定&お話させて頂くと様々な外部情報が小耳に入って来るものでして、特に勉強もしていない人がネット上に転がっている知識の寄せ集めだけで鑑定を始めたり、公の場に出たり、まあ酷い時には弟子を取ったり、スクールを始めたり云々・・・(本当はもっと色々ありますよ、そしてその被害を被っている方々が私のところに来られるわけです)。
冗談みたいな本当の話が多く伝わってくるものです。
例えば算命学で言えば、原典算命学大系はなかなか入手できませんよね。それはそういう現状なので仕方ない。
でも本気で勉強しようと思えば、日本在住なら国会図書館に行けばいい。今ならもしかすると電子書籍化されて、ネットで借りることができたりするのかも知れません(未確認)。
しかし100万歩譲ってそれが難しかったとしても、高尾学館で高尾宗家の書かれた教科書や上に載せた写真の心技篇(上・下)、その他の書籍はちゃんと手に入る。それくらいは最低やった方が良いよな、ていうかやらんと鑑定できないでしょう?と思うわけです。
算命学はこんな感じですが、四柱推命業界はもっと混沌としている。業が深い・・とだけ言及しておきます。
つまりそんないい加減なことしている人たちの養分になって欲しくないのですよ、私の記事が。私の記事のせいでそのインチキを介して人生狂わされる人がどんどこ出てくるのは嫌なのです。そこなんだよ。
なのでここ数か月は記事を書いては消し、途中まで書いては下書き保存で止まり、というのを繰り返しています。
じゃあそういうインチキに引っ掛からないためにはどうすればいいの?に関しては、随分前の記事ですがこれとしか言いようがありません。
皆様お気をつけてね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
心技篇を読み込む私(脳内自己像絶賛美化中)
Reading on the garden path (1883) by Albert Aublet (French artist, lived 1851–1938)
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