Longchamp/ロンシャン のご当地トートバッグをご存知ですか?
ウィーンの空港でふらっと入ったロンシャンにこれがございまして

おお!美味しそうで可愛い!
と思って眺めていましたところ店員さんが話しかけてきまして。
私:これアイスカフェかな?可愛いですね。
店員:でしょう?これはこのウィーンでしか手に入らないトートなのですよ。ご当地もので、ネットでは販売されていないのです。
とのこと。
そういえば以前にそれ系列のものを見たことがあるわと思って調べてみましたところ
東京はこれ

パリ

ミュンヒェン

サントロペ

各地バージョンがあって楽しいですね。
でもウィーンのが一番いいな。
購入したかといいますと、していません。
これバッグが巨大で一回り小さいサイズはなかったのです。残念!
さて。
自分にとって価値のあることをしたい。
自分にとって価値のある生き方をしたい。
周りの誰か、自分以外の何百人、世界中の人が賞賛し素晴らしい価値のあることだ!と評価してくれようとも、自分の心のうちで
違う、これじゃない
の思いが重しのように鎮座し消えないのであれば。
不幸だ。
仮に死後銅像が立ったり、後世に語り継がれたり、子孫が食うに困らない地位を確立できたとしても。
不幸だ。

どなたか存じ上げないが落書きだらけで可哀想なことになっているウィーンの銅像
心から望む在り方を。
心から納得いく生き方を。
それが周りの意向と一致すればおめでとう。
一致しなくとも、評価されずとも、本当に自分の望む者に一歩でも近づく人生を送れたならそれは幸福だ。
周りの評価なんて本来霞のようなもの。虚。まやかし。次の瞬間には消え失せる何の価値もない実態のないもの。次の瞬間には180度ひっくり返り得るもの。
自分の心よりもそんなものを優先する人生は、素敵か?
素晴らしいですねと万人に言われながらも死んだ魚の目のまま。
世間からの称賛にもかかわらずスカっと晴れやかにはならない、心の重しが消えないなら。
それ以上の合図はないのだよ。
それは違うということ。

NAZIと書かれてしまっている後ろ姿
もちろん “数珠つなぎの周りの評価” という滑り台に乗って最後まで滑り続ける人生もある。
誰の害にもならない。
誰も傷つけない。
だからいいじゃん。
それ本当?
あなたは傷ついていないのか。
あなたは自分を心密かに無視して害していないか。

自分で自分を蔑ろにする生き方ほど有害なものはない。
それは必ず外に出る。
自分に出なければ、自分を通じて身近な人に。
次世代に。3世代、4世代、それ以降の子孫に。
そんな人生は、素敵か?
幸福にハンドルを切るにはある程度思い切って周りを断ち切ることも必要な時がある。
そういう勇気を持つことができれば、真の幸せにまた一歩近づける。
本日もお読みいただきありがとうございました。

Museum für angewandte Kuns//オーストリア応用美術館


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