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年末年支のお墓参りにあたり:世界を隔てても家系とは1つのチーム

末っ子の咳やくしゃみをまともに食らっていたせいか、体調がイマイチです。が、夜中に起き出してこれ

トゥーンバ

 

を食べて随分元気になりました。焼きそばっぽいものらしいのに、ボケていたので500mlの水にそのままスープの粉を入れてうっす~い味でしたが、全然OK。

今は友人の日本土産で抜群に美味しい羊羹を頂いております。幸せ~♪

 

私は宿を取る時は必ずちょっとした台所がついた宿を取ります。なのでゴリゴリのホテルではありませんね。特に日本以外での旅では和食党のわたくし、お茶を淹れられたり、インスタントラーメンを作れないと困るのです。外食はハズレが大変多いので

 

これはウィーン国際空港のお掃除ロボ君

 

今回も民泊でもホテルでもなく、ホテルのようだけど台所付きという物件です。鍋も食器もぴっかぴかのものが揃っています

 

こういうのって

大変古い建物で

ずっと住むにはちょっと日照量がいまいち

でもとても中心地で便利なところにある

みたいな建物が使われていることが多いです。たいてい1階。2~3泊だと日照量も気になりませんものね。今回の宿も改装&オープンしたてか?ぴっかぴかで静かで大満足です。

 

そしてさっきちょっと休みましたが、ここはお化けもいないようで一安心。

(ウィーンは今まで何度かありましたのでねえ)

 

さて。

年末年始にお墓参りに行かれる方も多いかも知れませんね。

その時に知っておくといいことを書いてみますね。

今までにも書いたことと重複するところもあるかも知れませんが、復習ということで。

 

ご先祖も我々生きている存在とあまり変わらない

 

ご先祖もそうですが亡くなった方は皆、体の有無だけで我々とあまり変わりません。

誰かが訪ねてきてくれる時、誰かとお話しする時、その誰かが機嫌が悪かったり何故か申し訳なさそうにしていたりするとこちらも心地が悪いですよね。

なので調子のいい時に気分よく行けるといいです。

 

~♪

 

手土産持って行ったら喜んでくれるかな~♪

と相手(ご先祖)も自分も気持ちよくなるのであれば、そうすればいい。でも別に無理しなくてもいい。

 

こちらが遜(へりくだ)りすぎるとそれも間違い。

我々は存在する世界が異なるだけで、ある意味対等の関係なのです。それを忘れてはいけない。

先祖を神格化すると色々ボタンの掛け違えが発生しますのでね。

 

対峙は礼をもって

 

そしてご先祖に胸のうちで語り掛ける言葉ですよね。

それだって生きている人間を前にする時と全く同じ、相手を慮って礼儀をもって。思いやりの心を持てるといいです。

 

例えば誰かと話していて

あなた、私の〇〇って願いを叶えてくれない?叶えてくれますように~!

などと祈られたら『なんでやねん、知らんがな』となりますよね。

 

また今まで連絡取れなかったのを

あれが大変でこれもうんたらで連絡が取れなくて、でも忘れてたわけでは決してなくて・・

みたいに言い訳がましくされても困る。

それも同じ。

 

つまり今現在の人間としての自分が誰かに向かい合う時の姿勢がそのまんま出るということですね。

 

心のうちは取り繕っても無駄

 

そして。

心のうちはツーカーでバレています。丸見えです。

なので

ご先祖様ありがとう

などと心で唱えたところで本心では『コノヤロウ』と思っていればそれがダイレクトに伝わります。

なので取り繕わなくていい。

嘘はつかない方が絶対にいい。

 

バレバレ君

 

むしろ

何故『コノヤロウ』という気持ちが湧いてくるのか

今こんな状態でこう思っていて、これはおそらくアレが原因なので、あなたたちも無関係ではない。

だから『コノヤロウ』と思うのだぞ。

みたいにまっすぐ語り掛ければいい。

 

 

真っすぐ語るということは、その瞬間に先祖を前に自分の現状をちゃんと見据え、どうにかしようという建設的モードになっているということ。現状把握と立て直し、前進のための壁打ちの相手になってもらっているような感じです。

 

あんたらのせいだ!

 

で終わらず、それを把握した上で何ができる?の契機になるような墓参りであれば、ご先祖も付き合う甲斐があるというもの。

 

もちろん純粋にありがとうと思えるような関係もありますよね。それは素晴らしいこと。そのまま感謝を伝えられるといいですね。

 

 

天庫星持ちさん、墓守の人は

 

墓守の星である天庫星を持つ人は、お墓のお世話をするといいと言われます。

あれは墓石を磨くとか、僧侶を呼んできて法事をするとか、お仏壇が・・みたいな表面的なこととしてしばしば語られますが。

 

 

本来は家系の中の【この世側のメンバー】と【あの世側のメンバー】の橋渡し的な役割があるはずです。

 

家系のメンバーというのはこの世だろうがあの世だろうが、結局は1つのチーム

そのチームがあの世側とこの世側で協力体制を取り、より幸せなチームにしていこうぜ!というのが本来の形であり生きる意味。そして死ぬ意味。

言ってみれば修行仲間でもあるのです。

 

 

お墓やお仏壇のお世話係と言われても抵抗感がないのは、つまりすんなりそういう理解に繋がりやすいし、やはりそういう働きができるということなのです。

 

気負わなくていい

 

そんな感じなので、墓参り!と気負わなくていいです。

ちゃんとした格好をして、お花もお線香もお供えして、お掃除もして、お経もあげてもらって・・・としたいのだ!それが我が崇敬の表現スタイル!

 

と思うならそれでいい。

 

遠すぎたり体調その他もろもろで現地に赴けないわ・・・というのであれば、心の中で繋がるのでも十分です。

 

結局は心の中の繋がり100%の世界ですのでね。

形は心が繋がるきっかけの一つにすぎないのです。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

ウィーン空港にあった、エゴン・シーレの自画像を使ったレオポルド美術館の素敵な広告

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