久々の神の演奏。
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いいですね、やはりいい。精神がしゃきーんと綺麗になりますよ。
さて。
昨日のきじにちょろっと『死後にやる一生の答え合わせ会』に触れました。
別にこれは義務として必ずなされるものですよ!というわけではなく、希望があればです。
死んだ後の世界、私たちがこちらに生まれてくる前の世界は思い100%の世界なので
今回の人生、あの時は○○だったけどあれってどういう意味があったのかな?
どこの何とどう繋がって、自分に何を勉強させる目的のものだった?
結果的に自分で気付いていない何かのためになったのかな?
みたいなのが気になる人はネタ晴らししてもらえます。そういう世界。
つまり今やっていることや今の自分のあり方、向こうに行けば丸裸になるわけです。
てことは自分の今の家庭・家系における役割や社会での役職など雲散霧消する。そりゃそうだ、体を捨てて中身だけスポッと抜けて元いたところに戻るのだから。
その時あなたはあなたの本質100%の存在となってそこにいるわけです。覆い隠すもの、目くらましは何もない。中身の本音100%、本質100%の存在以外の何ものでもない。
そして今世で家族であった人、血縁であった人、友人知人仕事仲間、縁のあった人とは会おうと思えば会える。
さあそこで中身丸出しの自分として相手に対峙して、あなたは恥ずかしくない存在だと言えますか?
もし今自らの立場、すなわち家庭・家系における役割や社会での役職などに胡坐をかいて、身近な存在を下に見たり、敬意のない扱いをしたりしていたら。向こうの世界で丸裸になった時、あなたは単なる不愉快な存在となる。
この世ではたとえそうであっても、立場が隠れ蓑になって尊大に振舞っても目を瞑ってもらえているだけ。しかし向こうの世界はそうは行かない。
役割・役職をいいことに弱い立場の存在に甘え腐っていないか?
肉体まで脱ぎ捨て丸裸になった時、恥ずかしくない存在でいられるか?
は常に考慮に入れた方がいい。
天はそこを見ているよ。
そこをいつも観察し、テストしている。我々はテストされている。
役割と人間の価値を混同し調子に乗っていると、死んだ後本当に大変なのですよ。
どのツラ下げてあの世に行くんだろう?
どのツラ下げてあの世で亡くなったご先祖や後から来る家族、友人知人仕事仲間に会うんだろう?
なんてことにならないように。
肉体も役職も何もかも全部脱ぎ捨てて腹の底丸出し状態になっても恥ずかしくないあり方を、生きている時から仕上げていく。
それも今世で生きる上での課題の1つなのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
『だからお天道様は見てるって言うてるやろ?』
『ごめん、カーチャン・・・』
Giobbe maledetto da sua moglie (1660-1675) Giovanni Battista Langetti
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