前回の記事の続き的な。
週1の更新を楽しみにしております私の好きなブログにも、割と最近お金のことが書かれていました。
この霊能者さんがあちら側で繋がっているところ、そしてそこから掴んでらっしゃる内容は、私が物心ついた頃から知っていることや、その後あちら側に繋がって把握したそれとほぼ完全に同じです。なので遺産に関しても私も以前同じような方向の話をちょっと書いています。
私は父が亡くなった後(まあ大して多くないであろう遺産の)法定相続分を即放棄しています。実母が全部全力一人占めしたがるというのもありましたが、そんなことでああだこうだと母と関わりを持つのを避けるためでもあります。
算命学的に見れば私は遺産を受け取っても全然OKにもかかわらず。誰が1のプラスを得るのに1億のマイナスを甘んじて受けるか?って話です。そこに後悔はゼロです。
それはともかく、この霊視をなさるアリスさんの記事諸々と前回のユタのお婆様の一連のお話は
普通の人が聞くと『あれ?矛盾してない?』みたいなところが出てくるはず。
これね、あちら側の世界というのは多分に多重構造で多次元的だからなのです。
こちら側からアクセスするにしても、その多重構造のどこにアクセスしやすいかは人によって癖があってバラバラ。その結果矛盾しているように思えるようなことが出てきたりするのです。
地球だって北極とアフリカの海岸とでは何もかもが異なります。でも同じ地球に違いはない。それと同じですね。
そしてその意味で私の掴んでいるところと、このアリスさんの掴んでいるところはほぼ一致なのです。繋がる階層が同じ。私は霊能者ではなく霊感なし子なので記事には『そこまでは知らなかったなあ』的なことがちらほら出てくる程度。
だからこそ毎度記事が出るたびに
それ それ それ それ!
ほんっまそれな!!
とよくぞそこまで言い切って下さった!状態でスカっとしています(笑)
今回の記事も
この地上世界では生きていることが良いことで亡くなることが悪いことのように思えますが、霊的な目線で見ると逆です。
ね、これ私何度も書いていますよね。
一体誰やねん『死=不幸で禍々しくて忌み嫌うべき暗いこと』みたいな構図作ったやつは??
逆やぞ、逆。ほんまインチキなこと言いよってからに。
風説の流布の最も罪深いバージョンかい。
とね。
これ本当にいつまで続けるのでしょうね、人間界は?
これくらいのイメージなら可愛いんだけど。
霊的視点で見れば、生きるというのはこの波長の低い地上世界で人間同士の未熟さをぶつけ合い、辛く苦しく悲しいことを寿命の限り経験しながら大切なことを学び修行をするという意味であり、亡くなることとはそういった修行からの卒業であり解放なのです。
そのため生まれ変わってきてほしいと願うことは、もう一度この地獄のような地上世界に修行にこさせたいという意味と同じであると理解しなくてはいけません。
短い期間であっても立派に修行を終えて帰れたのですから、寿命をまっとうした幼い子に対して可哀想や不幸、やり直させてあげたいと思うのは傲慢で失礼なことなのです。
この方のお話は厳しい。とてもいい。よく分からない生ヌルさがない。
私やこの方がアクセスしているところに繋がってしまうと
親・先祖は(どんなにそれがダメ人間でもどんな腐敗した背景があっても)敬い感謝しましょう~
男性は女性より偉いのですぅ~
みたいななまっちょろい妄言は吹っ飛びます。
あの世から来たこの世にいる私たちという存在は、あくまで魂対魂。
1存在対1存在。
全て対等な存在。
そもそも上の戯言も どこの馬の骨とも分からんオッサンの言い始めたことで、それを後生大事に代々ありがたがって懐に抱え込んでいるのは
- 自分が上の立場に立った時下の者に甘えられるから
- ただ年を食っただけでいっぱしの何ものかになった錯覚を得られ、偉そうに上から目線で『指導・教育』という名の元、目下の存在には何を言っても何をしても許されると勘違いできるから
- 盲目的にその教えに従ってしまうのはそうしていれば多数派側で皆と徒党を組めて安心だから
- そもそも思考停止の自動運転で行けるから
- わざわざ自分でよく考えるという面倒なことをしなくて済むから
要は甘いのですよ、ズルズルに甘い。
子供が大人に甘える可愛さの世界であれば許容できる。それは自然だ。
けれど大の大人や老人が単に年が上だから、血が繋がっているからというだけで、人として守るべき境界線を当然の権利であるかのように越え、若者・子どもに礼節も弁えず依存し搾取するという気持ちの悪い甘え方。
こいつには何を言っても何をしても許されるという勘違いからの甘え。
そんな気持ちの悪い甘えの構図は社会の至る所に散見されます。散見されすぎでしょう。
それが吹っ飛ぶ。
そして(私はまだあんなにもスパーンと言い切る形では表現できませんが)
なに甘えとんじゃゴルァ!そんなヌルイこと言うとるんちゃうぞ!
となるわけです。(注:もっと丁寧な言い方で書かれています)
そうなんだよ、本当にそう。
こういうことって知らなくても生きていけます。
でも本当のところを知っていたら?
人生は1回限り、死ねば雲散霧消と考えている人が殆どでしょう。
けれども実際は何度もやり直しをさせられる。あっという間にあ~ら卒業♪なんてそうは問屋が卸さない。どこにそんな甘い世界が転がっているのだ。だから人生は何度も敗者復活はあると言えるしそこに戻って来ざるを得ない。
けれども今世のこのタイミングとシチュエーションで、このメンバーで、この構成で家族をするとか友人になるとか、師弟関係を結ぶとか、それは今世限りなのです。なので『人生は1度切り』というのは正しいとも言えるし違うとも言える。
そんなあれこれは『人生は1回限り、死ねば雲散霧消』と考えている人にしてみればコペルニクス的転回なはずですし、それを知ると『生きる』ということを捉える視点が大きく変わります。
何だか色々語ってしまいましたね。
あの世のことって面白いのよね。なのでまた何かあったら書きましょう♪
本日もお読みいただきありがとうございました。
お茶会の看板絵、これにすればよかったなあ。
水野年方「茶の湯日々草、濃茶の図」1897
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