私が始めにオンラインの遠隔で師事した算命学の先生が、何らかの場面でのどなたかについて(失念)
原典を読んだこともないくせに
という発言をされていたことがありましてね。
まだ算命学を勉強し始めたばかりの私は原典を知らず
なるほど、原典というものは読んでおかねばならんものなのだな
と思った記憶があります。
それが私が原典なるものの存在を認識するきっかけでした。
An interesting book, Claude Raguet Hirst 1855-1942
そして原典を知り思うのは、算命学を教える人、および算命学を混ぜた何かを教える人(※)は当然のこととして読んでおかなくちゃいけないなということ。
(※)そもそもなんで算命学の一部便利なとこ取りで別のものに混ぜてんねん?て話でもありますね。
もう一つは、組織の鑑定をする人は絶対に原典必須ですわ。
会社やコミュニティ、国といった大きな人間の集団を算命学(およびそれを混ぜた何か)で判定する時、これを読んでいなければ真面目に全然駄目だろうということ。
それでは本当に何も分からないでしょう。
冒頭の先生のおっしゃっていたこともそれだったのではないかな。
読まずにやってしまっている人、そもそも原典の存在を知ることすらなくそれらの鑑定をやってしまっている人がいるとすればそれは論が・・・
それはともかく、これだけの広範で深い教えをたった11冊にコンパクトにまとめられたのは人間業とは思えないくらい凄いですし(語彙も吹っ飛ぶくらいマジですごい)、それは人間界でなし得る最高レベルに分かりやすく書かれています。
けれども。
けれどもだ。
読み進めるとすいすい行けるところと、2~3ページ読むのに凄い時間がかかる、みたいなところがありましてね。
原典はそもそもが濃い。
とんでもなく濃厚。
どもページを捲ってもどうでもいい薄い部分がありません。
以前よく流行っていた自己啓発っぽい本ばかり書く人の本を本屋で手に取ったことがあります。忘れもしない大阪梅田の紀伊国屋書店にて。名前は忘れた。
それは文字が異常に大きく、ページの空白が異常に多く、だからといって詩でもなく、中身がスッカスカで立ち読みでも5分で終わる程度のものだった。大真面目に、これ一体誰が買うんだろう?と思った。
しかしその人の本はとても売れていたらしく、それで幸せになっていた人も多かったのであろうしそれはそれでいいのだけれど、原典の濃厚さを思う時思わず
間違いなくその本1冊よりも原典の数行の方が断然濃いよな
などと、ふと変な比較が脳裏をかすめる。
その原典の中でも最も濃くてなかなか読み進められず、そしてどう考えても最も面白いのが天中殺の教えだと思う。
これはもう何というか濃すぎて、大きなスプーンにインスタントコーヒーの粉を山盛りにしてどんどこ口に運ぶのと似た難しさがある。
それでも飲み込め!飲み込め!とやっていると、口も食道も胃もコーヒーの粉だらけ、体内の水分吸われまくりでそれ以上進めなくなる。
当然もさもさ頑張って口に運んだ次の日に
よし!今日もインスタントコーヒーの粉一気食いだ♪
とはなかなかならず
ちょっと今日は水を飲んで落ち着こう・・・
みたいになる。
算命学の学びに時間がかかるというのはこれだよなと思う。これなんだよ。
ぱぱぱーと読んで、受験勉強的にさささーと頭に入れられる人はきっといると思う。
けれども
そのインスタントコーヒーの粉、ちゃんと消化できてるか?その粉が血となり肉となり骨となってあなたの身体はちゃんとコーヒーでできていると言えるくらいになっているか!?(は?笑)
みたいなね。
そして
そんなにもさもさ体中の水分を吸い取り、口中苦くて全然進めないのに、これが最高に美味しくてマジやめられん!(大歓喜)
みたいな算命学的本格派マゾヒスト誕生の契機となるのが天中殺の学びなのである。
いや
算命学で一番面白いのは絶対に天中殺だろう♪
ってことを言いたいだけの記事なのですがね。(注:当社比)
ここを完全マスターすると、算命学の方向感覚はもう任せて!と言えるでしょうし、波及的に別の全項目までも一気に理解が深まるという項目なのです。
うへへへへ♪
本日もお読みいただきありがとうございました。
『今日はこれ以上無理や~』な私(絶賛脳内美化中)
Margaret at the Church 1864 by Nicaise De Keyser
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