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“家系の健全な存亡という流れ” をその実態としたお釈迦様の掌の上で転がされる私たち

この間もご紹介したMARiA麻莉亜さん。

いやもうめっちゃすごい。

これも17:00ちょっと前くらいから全然意味が分からなくて最高だから是非見て!(笑)

登山には全く興味がないのに凄い集中して最後まで見てしまったわ。もうすっかりファンですよ。

というか世の中にはこんなことをしてアドレナリン爆発させて幸福を感じる人がいるなんて、数日前まで1㎜も知りませんでしたよ。というかそもそもこういうところに一般人が登れるなんていうのも知らなかった。

 

いやすごい。ただの別嬪さんYouTuberじゃない。

この人絶対に比肩健禄系か五宮同均とかそんなだわ。隅々まで大変しっかりきっちりしていて、しかも安定している。

そしてスーパー一匹狼

群れてない。

だから見ていてホッとするし楽しい。

 

 

最近よく思うのですが、私たち人間は所詮 “家系の健全な存亡という流れ” をその実態としたお釈迦様の掌の上で転がされてるだけだなと。

 

何かを心の底からしたいと思う。

こう生きたいと思う。

それが魂の叫びであれば、それは必ず家系の流れが期待するところに一致するようになっている。

いやいや周りは関係ない、自分一人で決めたのですよ!と思っていても。

自分一人で好きに生きているつもりでも、超俯瞰視点では『ほら、掌の上だったでしょう』になる。

 

 

もしも好きでやっている風に見せてはいる、でもその中身の真相が(例えば)何かからの逃避でしかなく、自らの魂の希望にも家系の期待にも添わないものであれば、やっぱりそのうち必ずあるべきところに引き戻される。

 

というと決められた路線を転がるだけで自由がないように聞こえますが、ひっくり返していうと『自分の心からの願望』『今までの家系の流れ、そのメンバーからの希望』は合致するので、自分の思いを叶えれば自動的に一石二鳥ということにもなる。上手くできてるなあ。

 

何に喜びを感じるのか。

私はいい音楽を聴くとアドレナリンが爆発しテンションが宇宙の果てまで上昇する人ですが、きっとそれもなるべくしてなってる。

そこで感じる『この流れで間違いない。合ってる。』の感覚。

それは『自分の心からの願望』『今までの家系の流れ、そのメンバーからの希望』から1㎜もズレていないという確信。

 

やっていること自体に迷い、疑問、不確かさの感覚がない人というのは見て分かるものです。

外側と内側の芯、中心部がピタッと重なっている。

そして中身が外側の輪郭に重なる。でもガチガチにではなく、呼吸をするように自由自在にアジャスタブル。

 

イメージ図

 

きっと上のMARiA麻莉亜さんはソロ登山がそれなのでしょう。

でもそれは音楽とか登山とかいった分かりやすい記号的なものだけではありません。子育てや家事みたいな日常生活に溶け込んでいる何かでもありうるのです。

別にアドレナリンは出なくてもいい。

テンションが宇宙までぶち上らなくてもいい。

そしてそれが何なのか、社会から評価されているのかはここではどうでもいいこと。

 

大事なのはそこにある静かだけれど確信のある納得感。

自分が日々何気なく行なっていたアレが実はそうだったな、と後で気付くこともきっとあるでしょう。

 

私が地味~に黙々と算命学を続けるのは、算命学にも『ここで間違いない』の確信を持っているからです。

私がやるべきこと、居るべき場所はここで合ってる。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

ココシュカさん、ただの変態じゃなかった。センスいい。

Sleeping Woman, Oskar Kokoschka

 

ことあるごとに晒し上げられるココシュカさんの変態性:

オスカー・ココシュカ/Oskar Kokoschka の濃縮変態エキス爆弾
こんなの、やってる本人が別の作品で芸術家として名を上げたからこそ、超一流の美術館で死後何十年も経ってから芸術作品として展示されている。

 

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