歌さんだ!
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今回の街録はスーパー神回でした。
この歌川たいじさんは私がアメブロにいた頃、同じくアメブロで漫画ブログをなさっていてよく拝読していました。とっても面白くてほんわかしていて、あれよあれよという間に本になったり映画になったりと『実力者は活躍の場が広がるスピードが凄いなあ』と感心していたものです。
その頃ぱたぱたっとアメブロで活躍なさっていた方々がアメブロから離れ、離れた方が収益化できると知ったことで私も離れてWordPressでこの独自のサイトを作ったのでした。
この方も超ド級の虐待からの生還者で、動画内容は同じような生き残りの人には本当によく分かる視点でありお話です。
この辺とか
虐待サバイバーって友達にしたくない奴になっちゃうんですよ、結構
普通に友達が作れるようになるまですごく訓練が必要なんです
うわああぁその通りですうううぅ!
と頭を抱えたあなた、仲間です。
血の繋がった年端も行かない子供に何の躊躇もなくありったけの暴言を吐きまくり、暴力を振るいまくり・・・ができるような人間がまともなコミュニケーションを取れるはずがなく、そんな大人の傍で大きくなるしかないサバイバーは優しさと信頼感のある人間関係を構築していくというのが本当に分からない。未知の世界。一体どうやって!?と。そして人との距離感をいきなり間違えたり、言っちゃいけない言葉を使ってしまったり(そういう言葉を日常的に家庭内で浴びているからですね)。
それは英語をほぼ使わない環境で生活しているのに、外に出たらちゃんとした英語100%で生活せよ!と言われるのと全く同じ。それは日々の生活の中で培っていく技術と能力なので『そんなの普通にできるでしょ?』と思える人は幸いなのです。
この動画ではそういった育ちの人が普通に友達を作れるようになるまでに15年とまとめられていましたが、実際はもっとかかるでしょう。何なら一生修行みたいな感じでは?と私は考えています。
とにかく虐待なんて起こっているはずがないという認識で
大人がそういうのを見て見ぬフリするんですよ
この歌さんが小学生の頃、朝っぱらから発狂した母親に刺身包丁で2箇所切りつけられて大出血し、保健室に行った時の話。
そんな目視できる惨事が発生していてすら、周りの大人というのは無視したものです。
これは私にも経験があります。
私なんぞどちらかというと優等生気味(単なる“気味”ですよ)でいじめられっ子でもなく、先生はじめ周りの大人たちにやたら受けが良く信頼され可愛がられていました。にもかかわらず少しでも家での苦しさ、親の発狂度を訴えて助けを求めるそぶりを見せようものなら、そりゃあもうあからさまに
どうせあんたが何か悪いことしたんでしょぉ~
親は子供を常に愛してるものよぉ~
親の言うことは聞いておいて損はないわぁ~
親に感謝しなきゃねぇ~
(本音:そんなこっちに何の得もない面倒臭い話振ってくんなや!)
でしたからね。
面倒は最弱者の口封じで事なきとせよ。
これが鉄則。
これが暗黙の社会常識。
歌さんも仰っていますが、そういう時代だったと言えなくもないけれど恐らく今もあまり変わりはないでしょう。
最近これまた飛行機で観た『ジョーカー』というホアキン・フェニックス主演の映画。有名なのでご存知の方も多いはず。
これはジョーカーをジョーカーたらしめたものは何なのかのストーリーでもあるのですが、彼も不遇過ぎる幼少期、成長期を潜り抜けています。そしてそこでも同じような台詞が出てきます。
(『だよね』と思って思わず写真を撮ったシーン)
『子供は世界の宝よほぉ~ん(ハート)』などと“素敵なアタクシ像”にうっとりしながら言い放ちはすれど、いざ虐待の場面や被虐待児に出くわしたら。彼らは正義を追及したり、間違いを正したり、子供を守ったり、更には子供を虐待してしまう親たちの事情や背景を知ろうとしたり・・・といった面倒なことには絶対に死んでも一切かかわりたくない。
そしてタバコの火をもみ消すように、一番弱いものの口封じをしてあたかも問題を解決したかのような気になる。
ただこれは普通ファミリー育ちの人には本当に分からないことでもあるのでしょう。虐待サバイバーが人間関係構築に大変難儀するように。
だからこそ歌さんの言うように啓蒙活動は必要なのだと思う。
だからこそ
虐待サバイバーのケアが必要(43:18あたり)
けれども
まだ虐待サバイバーについては知られていないんです
例えば親から逃げて来たばかりで、痛みがものすごくて血が噴き出ている状態の人から
30年40年過ぎて『今は相方と幸せに暮らして昔のことは恨んだりはしていないよ』という私みたいな状況の人まで段階がいっぱいあるんですよ
そんな段階があるってこともまだ知られていない
いやホントそれよそれ。そうなのですよ。
タバコの火をもみ消すように深刻な被害者なのに口封じされてきた人だって大人になる。
そんなことを普通の人は見たくない。
たとえそれが自分のことでもなかったことにしたい。
自分は普通家庭で普通に親に愛されてきたということにしておきたい。
真実に直面するのはあまりにも酷だから。
でも家族にも他人にも、そして自分自身にも無視されてきた自分の感情や本心というのは、なかったこととして蓄積され続けていくとやがて怒りの種となりものすごい毒をまき散らし始める。それが自分に対してなのか身近な人に対してなのか、社会に対してなのかにかかわらず。ジョーカーがまさにそれ。
本当にね、その辺に関しては日本だけでなくまだ地球上のどこを見ても原始レベルの発展途上です。
だって誰もそんなことを見つめたくないから。
見つめるのは痛いから。
逆に言うとそれを見つめている人というのは、見つめざるを得ない究極の状態にまで追いつめられた人たちなのです。
その血みどろの地獄のような状態から抜け出すには。
自分を見捨てないこと
自分を大切にすること
心の一番痛い部分を少しずつでいいから見つめ直して掘り返して、自分を毎秒大切にし直して、自分自身と仲直りして・・・それができるようになって初めて周りに気を向けることができる。
一つ一つ取り返す。取り返せるのです。
私は算命学をテーマに活動していますが、結局のところもっとも訴えたいのはそこのところなのだよね。
今心からどばどば血が噴き出して瀕死の状態の人でも、それでも心に平穏が訪れた状態で幸せに暮らすことができる未来はある!ということを、全部経験してきた身として伝えていきたい。
そんなことを考えました。
本日もお読みいただきありがとうございました。
おまけ:
【逆境を乗り越える】36:35あたり
子供に関して言えば子供って本当に無力で とことん追い詰められたら●んじゃうんですよ
だから子供に対してどうこうしろではないと私は思っているんです
周りの大人がそういう子供もいるってことを知って、そういう子供になんとかリーチできるようにどう工夫するの?とか
あとそういった子供に出会った時にどういう風に接してあげるの?といったことを、周りの大人が考えなきゃいけないと思うんです
なので逆境力に関しては子供に対して言うつもりはないんです、大人に対してですね。
そう、子供をどうこうしようというのは結局『タバコの火をもみ消す』延長に他ならない。面倒を省略したいただの怠惰でしかない。
本当に分かっている人は、元凶である親を見つめ直し、話を聞き、教育し直し、というのが必要だと知っている。
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