算命学で解析して読める結果というのは多分にハードであるといわれます。だからこそ
理をもって情を排し、占技を使い分析結果を求めなければならないが、その結果を伝える時は十分に相手のことを思いやり情をもって伝えること
と。
まぁね。まあそうなんですよ。
でも、とよく思う。
その『ハードな結果』というのは この世視点という超近視眼的な捉え方 をするからこそハードなんだよと。
算命学はこの世もあの世も宇宙もひっくるめた大きな世界全体という視点で様々なことを捉えます。その大きな世界の中の一部が現世、つまり今我々のいる知覚可能な世界。その一部だけしか存在しないと思っているのがこの世の中の人殆どです。その一部の視点しかなかったら命式を読んで見えてくるものはそりゃあ超絶不公平だったりハードだったりしますよ。
たとえばこういう一節が原典にあります。
もし幼少期に両親を亡くした薄幸な人がいたとして、自然界は理由もなくその人から両親を取り上げたりはしないのであります。人間の情的世界で見れば実に可哀想な出来事なのですが、その時に両親を亡くすことによって、子供の運命は自然の法則に従えるとも言えるのです。
人間として最高のエネルギーを所有する人からは、神は早めに親の運を取り上げてしまうのです。
これは親運に限らず諸々の不運がそうでありますが、弱いものには長く親を与え加護の時間を保つものです。
この世、今世、という観点だけで見るとめちゃくちゃ不公平なものですよね、人生って。そんなものは別に算命学を知らなくともみんな知ってる。
でももっと長ーーーーーーーーーーい存在なのですよ、私たちって。いつも言いますが今世が終われば私たちは雲散霧消!なんてそんな甘い世界なわけないじゃないですか。(そうであればどれほど楽だろうか・笑)
そのずーーーーっと長く継続していく存在としての視点を持つと、皆平等なものです。
という風に視点の話だよ、占術を駆使して見えてくる結果の捉え方は、ということ。
私は物心ついた頃から3分の2くらい心身ともにあの世に突っ込んだまま生きている自覚があり(いや、正直言うと9割くらい)、いつも視点が一般的なそれと大きくズレています。
よく『起こった出来事を俯瞰する』と言いますが、あれもせいぜい空高く舞う鳥の視点=現世視点で、私から見ると
そんなの俯瞰じゃねえわ
なのです。
視点を変えればすべては均衡に、平等に。大きな世界においては100%因果応報。
算命学はそういった視点が常にあるからほっとするし、暖かいのです。救いの方がはるかに大きいよ。
じゃないと、ただ厳しいだけの学問だったらこんなに長いことやってないってね(笑)
本日もお読みいただきありがとうございました。
最近天気が良くて気分がいい時の私
A Peasant. Costume design for Scene III of the ballet Aleko, Marc Chagall
コメント
いつも佳代さんの記事を楽しみに拝読しております。
幼少期ではないですが学生時代に親を亡くし、機能不全の家庭に思うことがありすぎた私にとって、
佳代さんが原典から引用してくださった部分はとても救われる思いがしました。紹介して下さり本当にありがとうございます。
算命学の叡智のほんの一端でも感じられたことが嬉しくなりました♪
お役に立てたようで何よりです。メッセージありがとうございました!
またよろしくお願いいたします。