皆様こんにちは。
今期の鬼滅が終わったじゃないですか?子供たちが夢中なので私も昨日一気見したのですが、素晴らしいね。絵のとんでもないクオリティも構図も話のテンポも、芸術作品だと思う。絵が本当に美しくって見入ってしまった。日本のアニメは大変なレベルだわ。
鬼滅の刃最終回
金かかりすぎな爆発シーン#鬼滅の刃 pic.twitter.com/V8WUEgB6K2— オワオワリ (@bazutoku) June 30, 2024
この雪の結晶が消え行く描写なんて最高。
ああいう素晴らしい作品を見るたびに思い出すのですが、私は子どもの頃アニメも漫画も見せて貰えませんでした。
(小1まではテレビは少しは見せて貰えていた。小2から突然ダメになった。まあ夫婦間で何かあったな、という話なのですがそこは置いておいて。)
特に漫画は母に言わせると
あんな〇〇〇〇しいもの読んだら〇〇になる。
ああいうのは〇〇が描いて、〇〇が読む、〇〇にしかならないものだから読んではいけない。
というのが口癖でした。
毎度横柄な究極の上から目線で、唾棄すべきゴミと言わんばかりの勢いで貶していたものです。
でもそれを聞くたびに小さい私は思っていました。
きっと漫画を描く人は漫画が大好きでその仕事を選んだのだろう。
そして雑誌にしろ本にしろアニメにしろ、そういう表舞台で自分の作品が発表されるような場を与えて貰って、本当に〇〇〇〇しい内容のものを〇〇な人に向けてその人は描くだろうか?好きなことをする際に社会で活躍の場を与えられたら、私だったら自分史上最良最高のものを出そうと全力尽くすだろうし、皆そうじゃないだろうか?人間が大好きなことを選んで、日々それに従事し、その積み重ねの最善を提供しようとする時、本当にそんなに〇〇なものばかりが生まれるだろうか?
そしてそういったものを読んでいる人は本当に〇〇なのか?
人間関係に上下を付けないと気が済まない人は結構いるものだ。
何故そんなに自分という存在に自信がないのだろう?
そういう人は自分に自信がないから他人を貶めることで自分の優位性を印象付けようと躍起になる。そして結果的に墓穴を掘る。
算命学では男も女も、昼も夜も、善と悪すら同等の価値があるという宇宙の真理をベースにしている。その現れが自然であり、自然を観察した上で全てを木火土金水の五行および陰陽に分類する。その関係性から様々な人物や事象を読み解いていく。
人に優劣があると本気で思っている人は
木は土を剋すから土より価値が上でしょ!
いや、その木を産み助けるのは水なんだから水の方が木より上でしょ!
その水は土に剋されるのよ、何言ってんの土の方が上よ!
みたいな頓珍漢で残念な思考回路に陥っているだけ。
全ては循環するし剋し合う。全て対等、全て等価値。
それぞれに役割があるだけ。
算命学はその思想面をただ伝えるだけでは真理が継承されないと、技術面で占術という形を作り出した。その形から対象となる何かを捉え、理解し、真理に辿り着くよう設計されている。
素晴らしいものを素晴らしいと認めることは自分の価値を損なわない。
素晴らしいものに大いに感化されて、感謝してエネルギーを貰って、互いにいい影響を与えていける世界にしていきたいものですね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Madame Monet Embroidering 1875
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