前回の記事の続き
私は子供の頃から 自分に必要なメッセージ、言葉、図、音など・・・
その時その時で形は色々なのですが
それだけは 異常にくっきりはっきり勝手に識別できていました。
全体的に興味がなかったり
興味があるつもりで意識を向けてても内容が上滑りで頭に入ってこないとか
セリフに丸でぼかし効果がかかったみたいにぼわーっとしすぎてこれも頭に入ってこない ボケ~ みたいな状態でも
いきなり 輪郭の極端にクリアな3D画像みたいな感じでそこだけが自分にズバーンと飛び込んでくる 場合
それは その時には分からなくても必ず自分に必要なもの なんです。
こういうのは絶対無視しない方がいい。
そういうメッセージの出現ってごく稀というわけではないけれど
このドラマの終盤みたいに ダバダバ連発 というのは初めてで!!
まだまだ余韻が残っています。
このドラマって
どこまで行っても自分
自分の中心に向かえ
が一貫したメッセージ。
例えばドロレスが
何かがずっと自分に囁いてくるけど一体誰なのか、何なのか?
とずーっと探っていって、最後に
それは内側にいる本当の自分だった!と気付いたり。
人間って、自分にぴったりの答えは自分の中にあるって本当は知ってる。
でもついつい外側に答えを求めたり同意・承認を求めてしまうのは
自分自身であってはいけない
お前は間違ってる
正解は外側にあってそれに合わせて生きろ
という教育を受けてきたからそれが習慣になってしまっている。
というのもあるけれど
自分の内側に見つけた答えを 『 私はこうなのです 』 と提示して生きる時
もしそれが苦しい結果をもたらしたら逃げ場がない
誰かのせいにできないから
そして本当の自分が傷つく気がするから なのですよね。
( 本当は傷なんてつかないのだけど )。
誰かの言ったことを採用し続ける限り
上手く行かなくてもその人のせいにできる。
でもそれはそのように習慣付いてるだけ。
練習すれば以前の習慣に飲み込まれることなく 本当の自分として生きる こともできる。
そして最後の方の私がめちゃくちゃ好きなシーン
この辺は殆どセリフがなくて表情だけで内面をあらわしてるのですが
準主役で娼婦館経営者のメーヴさん
彼女のようなAIは、自分で考え選択し決断しているつもりでも
実は自分以外の何者かに全て前もってプログラムされコントロールされていただけ
→ この偽物ワールド脱出計画がたとえ誰かのプログラミングだとしても、それでも私は自分の意志でこの操り人形の世界から脱出するわ!( 決断 )
→ 出発直前に
『 たとえ自分の子供を亡くしたという記憶が単なるプログラムに過ぎないとしても
私にはあの子は大切な子だから ( AIなので修復されてまた別のストーリーを演じさせられている ) 迎えに行こう
選択するのも決断するのも私なのよ 』
→ 物理的にはウエストワールドから脱出できないが、ウエストワールドに戻ると決断することで
操り人形という自分の在り方から、自分主導で生きるという本当の意味での脱出を達成する
このあたりもうブルブルしっぱなしでしたよ、私。
このブログのタイトルを変更する前、副題に 『 選ぶのは私 』 と付けていたのですが
自分の人生を生きる以上、可能な限りの情報と選択肢を収集して認識した上で
『 自分はどうするのか 』 を決断するのは自分 なのです。
親とか先生とか、ましてや社会の常識なんかを自分の上に置いて優先してる間は
それは自分の人生ではない と私は思ってる。
だから
たとえ大仏 ( だっけ?) の掌で転がされてる孫悟空状態だと分かったとしても
それでも私は自分で決断するのだ
自分が今置かれている状況、条件、枠組みの中で出来るだけのことを自らの決断に基づいてするのだ!
という姿勢は 「 そう、まさにその通り」 って感じだったのですよ。
更に
果たして人間に自由意思はあるのか?
というのもここ10年くらい考え続けてるテーマでして・・・ ( ええ、いつもこんなこと考えてますw )
ホント私の世界とのモロ被り具合がイチイチ衝撃的だったのですが
まだ他にいいセリフがあったので書いてみます。
いい物語は理想の自分を生きる助けになる
そして
深遠な真実を語る « 嘘 »
→ 頭で考えて良い悪いの判断が入る物語・理想は世間的には素晴らしく見えても、本当の自分を生きてないって意味でどこまで行っても嘘。
( レクター博士w のセリフ )
人は変わりたいと思いつつ大抵変われない。
でもこれからは 「 変われる存在 」 がこの偽の世界を塗り替えていくんだ。
これら全て
マトリックス や
ゼイリブ
ジョージ・オーウェルの1984
と同じく、全部今の世界そのままを表現 してるんですよ。
この世界もそのうちそうなるね~という未来じゃなくて 『 今 』 ね。
長くなったけど後ちょっとだけ続きます
コメント