一時帰国民に告ぐ!
外国に住んでいて一時帰国の際の買い物の時、免税で安くお買い物できたじゃないですか?あれ最近制度が変わったってご存知でした?
以前は確かパスポートとビザくらいでOKだったのが、この4月から
- 領事館で在留証明書を出してもらう、その際に戸籍の本籍地を記載しなければならない
その戸籍の本籍地を記載するために買い物時から遡ること6か月以内に日本で発行された戸籍が必要(外国にいるのにどうやって取るねん)
もしくは - 日本で戸籍のフヒョウというものを取って、日本に住んでいないということを証明する
(以上うろ覚え)
とかなんとかそんな感じの超絶面倒くさい手続きが必要になりましてよ!しかも日本Appleも海外民に対する免税購入システムなしにしちゃったみたいですし。日本で漢字で名前を入れたiPadを子供たちに買って帰ろうと思ってたのになぁ。
手続きも面倒だしもうわしゃ諦めた・・・日本に貢献するつもりでちゃんと税金落としてまいります、ええ。
さて。
天馳星には『私は皆とは違う』という感覚があります。
辛の人や牽牛星の人にも『私は皆とは違う』という感覚があります。
これらは言葉に直すと同じですが、中身が全く異なります。
辛の人や牽牛星の人のそれは
あくまでこの世の、この社会の現実という土俵の上で
才能、功績、センス、地位、名誉、美、財産など極めて現世利益的な面で他より優れてますよ
というプライドにおける『私は皆とは違う』です。
これは私がAIに『土俵の上で闘う2人のお相撲さん』を描かせたもの(笑
2023年2月11日 追記:よく考えたら土俵の上に2人じゃ文脈的におかしくない?と思って『土俵の上で闘う大勢のお相撲さん』にしてみました
ていうか顔どうなってるんやろ?
辛の人や牽牛星の人はあくまで “ この世の目に見える物質的世界という意味での現実 ” である土俵の上に意識があります。しっかり自分の足で土俵の上に立つ。土俵の上での良し悪し、上下。ここにプライドを見出すのです。国技館から出てその辺の歩行者に張り手して『勝った!』などと言わないのと同じです。
しかし天馳星のそれは全く違う。
自分は土俵の上にいるかも知れないけれど、世界にはお相撲さんも、赤いショールをした観客も、着物で正装した観客も、ライト係、売店の店員さん、学校でテニスをする小学生、庭に咲くひまわり、そこに来るてんとう虫、ふわりとそよぐ春の風、厳しい夏の日差し、家のカーテンレールを壁に取り付けるネジ、海岸の砂粒・・・様々なものが存在するよね、だからそれぞれ皆違って当たり前なんだよ。一緒であるはずがないんだもの。
という『私は皆とは違う』なのです。違うことが当然なので、皆と同じに合わせるという発想がそもそもないし、理解できない。そもそも何故そんな必要があるのかと。(※)
そしてそれぞれが完全に異なるので、それらを比べてどちらが良い悪い・上なのか下なのかというのもあり得ない。釘とモグラと月、さあどれが一番いい?と聞かれても訳が分からないじゃないですか。これがあの世の感覚。
ガッツリこの世感覚の人は、人間という皮を被ってこの世で生きている存在を同列において比べようとする。だって同じ人間なのだからと。
でも天馳星はその表皮の奥しか見ていない。感じられない。
ここでは辛の人や牽牛星の人と天馳星の『私は皆とは違う』は一見同じに見えるかも知れないけれど実は全然異なる内容、視点なのですよということをお話しています。なのでどちらが良い悪い、の話ではありません。どちらもそういう性質なのであって、生きて行く上ではその活かし方、活かすステージが異なってきますねということなのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
この人の『私は皆さんとは違いますけれど何か?』感はとても辛や牽牛星っぽい。
Portrait of Henrietta Girshman を描いた ロシアの画家 Valentin Serov も天馳星の人。
※)そうはいっても天馳星ある私も優劣上下は大事だと思うしよく分かりますよ?という人は、他の星があなたに現実感覚を持たせているのです。
コメント
いつも楽しく読ませていただき、ありがとうございます。ご帰国でなさりたいこと盛り沢山のご様子。楽しみですね。
ちなみに「戸籍の附票」というものは、戸籍に必ずついている「住所歴」みたいなものです。佳代さんが海外転出されていれば、国名・都市名くらいが書いてあると思います。もし本籍地に立ち寄られるようなら、その役場・出張所等で非常に簡単にとれるものですので、ご参考まで。(海外や日本の滞在先からも郵便請求はできますが、色々と面倒くさいものではありますね、、、)
そうなんですよ、滞在予定地が本籍地から遠いんです・・・なので今回は諦めます。情報ありがとうございます。