すごく傷つくような言葉をかけられた
理不尽にプライドを傷つけられた
ゴミのように粗末に扱われた
などなど、ムカつくことはありますよね。生きていると本当に色々なことがあります。
腸(ちょうじゃないよ、はらわた)が煮えくり返ってそれこそお腹の中が地獄の業火みたいになって『 あのクッソムカつく奴は●●に落ちろ!』と思うこともある。そんなムカつく経験が1度きりであればどうでもよくなるのも割とあっという間ですが、何年何十年もそれが継続している場合。恨み憎しみは深くなりますよね。
それは自分が苦しいしとても辛い。どうしていいか分からない。どうすればこのムカムカから抜け出せるのか。
Grrrrrrr…
Head of the Dog, 1882 by Claude Monet
そんな時にいとも簡単に
相手を許せばいいので~す
などと言う人がいます。上から目線の『 カッコいいこと言っちゃってるアテクシ・俺様カッコいい 』という自己陶酔の微笑で。
三流の人は恨んで、一流の人は相手を許す (キリッ!
などと言う言葉も見かけたことがあります。
その人は本当にあなたのことを思っていますか?本当にあなたの立場に立って理解し(or 理解しようと努め)ていますか?
無茶苦茶なことをされてムカついて苦しくて堪らない時。どうしていいか分からず死に物狂いで解を求める人が、その程度のことすら考えなかったとでも!?
たとえば足を骨折した人がいるとします。彼は早く治って以前のように歩けるようになりたい。
そういう人に向かって
歩けばいいので~す
という人がいたら、それはただの頭がおかしい人でしょう。
足を骨折すればまずは医者にかかって適切な処置をしてもらう。
その後はしばらく安静にする。
動けるようになってくれば、その都度歩くということに向けたリハビリを段階に応じてやって行く。
そうして時間と手間をかけてようやく以前のように歩けるようになる。
更に時間が経てば骨折したことも普段は忘れているくらいにまで、以前と同じくらい回復するでしょう。
この世とあの世は合わせ鏡。
物質世界と目に見えない世界は合わせ鏡。
目に見えないからといって、その何かをあるのにないことにすることはできないのです。
Alter Ego Convention, 2018 by Michail Chochlacev
嫌なことがあって『 クッソ腹立つなあ!』となっている時、その感情はその人に必要だから出てきている。
それを目に見えないからというだけで、そこにあるのにないものとして扱う。ぎゅっと蓋をして『 え?大丈夫ですけど何か?』的に平気なフリをする。そしてまるで何もなかったかのように日常生活を送る。
それで得するのは誰ですか?
それは加害者であり周りの人たちであり、薄ら気持ち悪い微笑で正論のように見える戯言をぶつけて来た他人でしょう。彼らはあなたの人生に関して何の責任も取ってはくれません。そんな赤の他人が得をするのです。
でもあなたは?
あなたのその大事な気持ちはゴミのように扱われ置いてきぼりになります。他人にゴミのように扱われ傷つき、更にその上自分でも自分をゴミのように扱う。これでは骨折箇所をもう一度叩き潰すみたいなものです。いつまでたっても治るどころか・・ですね。
もう一度言いますが、嫌なことがあって『 クッソ腹立つなあ!』となっている時、その感情はその人に必要だから出てきているのです。
作用反作用の法則と同じ。必要なので出てきた、即ち何も悪くない。
その悪いものではない感情を思いっきり感じ切るといいのです。紙に感情の丈を書き連ねるも良し、Twitterの鍵垢で不満をぶちまけるも良し、ボクシングジム1日体験でサンドバッグをボカボカ殴らせてもらうのも良し、お腹の中で罵詈雑言大会を開催するもよし。
( ただし近くの誰かにぶちまけるのはやめた方がいいです )。
それを思う存分し尽くすと、その内そのぶちまけ行為にお腹一杯になってきます。もういいかと。恨み辛み憎しみの感情がガッツリ自分に受け止めて貰えて、それらが勝手に成仏して行くのです。成仏したらそんなことはもうどうでもよくなって、それが即ち『 許す 』に勝手に繋がっていきます。『 許す 』は後から出て来る結果なのであり、結果だけを先取りすることはできない。
これが骨折後でいう適切な処置であり、必要な時間とエネルギーであり、リハビリなのです。(※1)
人を恨むのは・憎むのは良くありません、ポジティブに行きましょう、というのは間違いではない。
間違いなのは、出て来たネガティブな感情を『 そんなものありませんよ 』と自分に嘘をつくこと。自分の気持ちを粗末に扱うこと。自分に嘘をつき続けるとそれらの感情は成仏しない、スッキリしないのでいつまでたってもそこに燻(くす)ぶり続けます。
これがネガティブな感情を後生大事に抱え込むということ。それをいつまでも続けるとネガティブを抱え込むのが常態になってしまって、今度はそれが反芻、拡大再生産されて汚物を抱え込む、みたいになってしまう。(※2)
気持ち悪い微笑でさも正論かのように見えるゴミをぶつけて来る人は、即ち『 汚物抱え込み 』を推奨しているということと同じなのです。
膿を出し切る必要がある時は出し切って、段階を踏んでマイペースで回復しよう。
(※1)ここまで行くとようやく冷静に、その加害者と自分との関係を今後どうしようか、環境を変えようかなどの物理的働きかけ段階に移行することができるようになります。また傷が深いほどリハビリ期間も長くなります。
でも骨折したばかりで滅茶苦茶痛いし機能も回復していないのに、いきなり歩こうと思わなくて大丈夫。
(※2)これが生霊や悪霊のスタートです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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