先週末、移動遊園地に行って参りました。
人混みを避けるため、遊園地開園1日目の開園時間すぐに行ってきたので後ろが空いています。
おいおいオッサン、遊んでばっかりかーい!!
と言われそうですが(誰がおっさんや~)大事ですよ、楽しいことを人生に取り入れるのは。めちゃくちゃ大事。特にこんなご時世だからこそ。
遊園地に行く日の午前中、たまたまこの記事を読みました。
ニキータさんは戦争の始まった最初の方で、家の地下に隠れているところをロシア軍に見つかって父や他のウクライナ人たちとともに捕虜になります。目隠しをされ両手は後ろ手に縛られ、連れて行かれた極寒の地では履いていたブーツに水を入れられ、そのまま地面にうつぶせになって何日も過ごさなければならなかったと。ロシア兵の気配が消えて父がそばにいるかどうか話し掛けると一緒に居ることが分かったものの、そこでは食べ物は殆ど与えられず、皆尋問され拷問され、両足を失った者もいた。ニキータ氏は手の甲をレンチでねじ切られ怪我をし寒さの中で足の指を全て凍傷で失ったものの、そのおかげで捕虜交換のメンバーに選ばれ、数週間で運よくウクライナに帰国できた(重症者からということだったらしい)。目隠しをようやく外されたのはロシア軍から解放されてから。父親はどうなったか不明なまま。
またこれも偶然知った舞鶴引揚記念館のサイト。これを見ると
ソ連軍に投降した多くの日本兵や一部の民間人はシベリアをはじめとするソ連領地内へ強制連行されました。
その数はおよそ60万人と言われ、遠くはウクライナやグルジア、ウズベキスタンやカザフスタンなどの中央アジアまで連行され、意に反する強制収容所での生活を余儀なくされました。
そこでは十分な食料など与えられずスプーンなどの食器も自分たちで作らなければならず、わずかな黒パンやスープを仲間と分け合いましたが、日に日に痩せ細り栄養失調に陥りました。
こうした日常的な飢えと寒さにより、1年目の冬を越せずに亡くなる抑留者も多くいました。
ロシアは今現在も全く同じことをしているのですよね。
何でもかんでもシベリア送りにするわけに行かないだろう。
by 国民の僕(ゼレンスキー氏主演のヒットドラマ)
遊園地は平和で楽しくて皆笑顔で、もし誰かが怪我をしたり子供が泣いたりしようものなら皆気にかけて助けてくれるでしょう。
でも地続きのすぐそばの国では現在進行形で大戦中・大戦後の出来事がそのまま再現されている。そのあまりにも異なる2つの世界の整合性が、頭の中で全くつかなくてね。
このブログを読んで下さっている殆どの方は携帯からご覧いただいています。そういう皆さんがもし
今電車で隣に座っている人の携帯を奪って、床に叩き付けて、思いっきり踏んづけて破壊して下さい
と言われたら、大抵の人は「嫌だよ」と言うでしょう。絶対に嫌でしょう。
ただのモノですらそうです。ましてや見も知らない、別に嫌いでも何でもない誰かの身体を傷つけるなんてとてもじゃないけれどできないはずです。それが当たり前になってしまうのが戦争。
平和な時であれば、テロが起こって5人も人が亡くなればトップニュースの大事件です。でも一旦戦争になると、5人の死亡なんて数のうちに入らない。
あまりにも隔たりのあるその2つの世界の切り替わりに、人はどうやって慣れるのか。慣れてしまえるのか。
(『次へ』で続きます)
コメント