昨日お風呂に入りながらこの本を読んでいまして
おおっ!と思った箇所があったので抜粋してみます。
キリスト教の教えでは、人類という集団の普通の状態が『 原罪 』である。
罪という言葉は大いに誤解され間違って解釈されてきた。
新約聖書が描かれた古代ギリシャ語を文字通りに訳せば、罪とは射手の矢が標的から逸れるように的を外れることだ。従って 罪とは的外れな人間の生き方 を意味する。先を見ないで不器用に生きて苦しみ、人をも苦しませるのが罪なのだ。文化的な覆いや誤解をはぎ取ってみると、ここでも人類の状況に固有の機能不全を指していることが分かる。
カトリック幼稚園から日曜学校に通い『 主の祈り 』を今でも一気に諳(そら)んじられる私も、普通にこの原罪って『 人間は存在するだけで有害 』的な意味なんでしょ?と思ってました。
でもそうか、これなら意味が分かる。それもすっごくよく分かる。
これはもう私がこのサイトを始めた頃からずーっと書き続けていること、そしてサイトの副題
自分であること以外にすることなんて何もないのよ
が意味するところと同じ。完全に一致します。
私はよく『 その人の本質と外側の在り方がズレてる 』というような書き方をしてきました。
そしてそれこそが諸悪の根源なのだと。そこをズレたまま行くと何よりも自分がしんどい、イライラする、怒りが蓄積されてくる、それを周りの弱いものにぶちまけてしまう、と自分だけでなくそれ以外にも全方向的に有害なのです。
そして殆どの人がズレたまま生きている。これは子供の頃からずっと見えていたこと。ずれが大きい人の近くにいると、気持ち悪くて堪らない。なので極たまにズレてない、本質と自らの在り方がバシッと一致している人を見かけるとものすごく清々しい気分になるのです。
( 身近では、子供3人がお世話になった幼稚園の先生のお1人がまさにそれでした。あ、この人は外と内の中心が一致してる!と見た瞬間に分かったし、話すと一層確信。)
自分本来の在り方とかけ離れた状態で生きようとする。一生懸命自分でない何者かになろうとする。そうでなければ生きて行けないぞ!と呪いをかけられた状態。詐欺に遭っている状態。洗脳にどっぷり浸かってそこから目覚められていない状態。それこそが大正義であり、自分が苦しいのだからそれを認めてお前らもやれー!と周りに押し付け拡大再生産する悪循環。これがキリスト教の原罪だったのか。すごくよく分かる。
個人の中でその機能不全が発生し、こともあろうかそれをどんどん次世代に受け継がせていってしまうヒューマンエラー。そりゃあ人間の存在自体が罪と解釈されてもおかしくない。
機能不全を起こしている個人同士が出会い結婚して機能不全家族が出来上がる。その機能不全は今いきなり発生したわけではなく、何代も前の先祖の分までミルフィーユのように重なってガッチガチになり、かなり濃厚な機能不全を起こす。それを一旦解消しないことには、それ以上その有害さに耐えられないし生きて行けない、だから否応なくドブさらいの役目を人生で負わされる人が出て来る。
というのは私の言葉ですが、これを算命学で言うと『 宿命と現状が一致しているか否か 』という話になります。
どれも同じことを違った角度から違った言葉で説明しているだけ。見ているものも言っていることも同じ。じゃあその本来の在り方を理屈で説明するとどうなるの?陰陽五行で解析して本質の大枠が掴めるから、そこに現実を合わせて行くと今度は全方位的に、無理なく幸福を生み出していけるよ!というのが算命学。
随分前に、自分は店に入るとその店が間もなく潰れるのか、人気が出るのか、どれくらいの期間は持つけどその後潰れるだろう、みたいなのが直感で分かって絶対に外れないといっている人がいました。それが分かるからそれを生かしてコンサルのようなことをしたいけれど『 直感で分かるんです 』と言ったところで誰にも信用されないだろうから、信用の裏付けとしてMBAを外国の大学で取ってそれを生かして就職する。その経歴で人を説得して自分の持っている能力を本格的に生かして行こうという戦略を立てていました。
私が今やっていることもそれにすごく似ています。
ズレている人はすぐ分かる。でも直感で~と言って上に書いたようなことを説明したところで怪しいだけなので、算命学をベースに解析し、筋道立てて伝えて行けば信憑性も上がる。誰かのズレの真面目な修正に取り組むお手伝いができる。
人の人生も人間関係も健康も、この社会も世界も、よりよくしようと思ったり立て直すことを考える時そこは絶対に避けて通れない。自分の本質を見極めず他人を手本に他の誰かの振りをしながら進み、ズレの修正をおざなりにすると根本的解決にはならない。毒親問題や機能不全家族も然り。セクハラ、パワハラ、DV、LGBTの話や校則問題ほか、無関係に見えるものも全てここに繋がっています。
なので私はこれをずっと続けて行くでしょうし、それが私なりの最も効率的な社会貢献の形なのです。
The boys on the grass, 1903 by Repin. この年代だとまだあまりズレはない。
コメント
そんな文献があるとは全く存じませんでした!正に目から鱗。スゴイ! コーフン‼︎
読みます!
その“誤訳”“曲解”は自然発生なのが意図的にされたモノなのか、興味が湧きます。宗教…って…(・_・;
西洋美術史学ぶとキリスト教の知識は必須なのでその程度の知識ですと、
原罪って知恵の実を食べたこと、そしてその結果、男女の交わりを持って命を産み出すようになったこと。
(処女懐胎だからあの御方たちが尊いのです)
自分たちが命をもって産まれることをそもそも罪とする宗教が、
大切に大切に受け継がれているのを不思議に感じていました。
世が世ならそんなの出版したら宗教裁判ですよ!おおっぴらに読める今の時代に生まれてよかった〜。
多分その辺も専門家の方々は研究なさっているのでしょうね。
しかしマーティン・ルターが翻訳したといわれますが、てことは元凶はルター?(まさかね・笑