算命学では仕事や職業を探すものとしては考えません。
人間がこの世で働くということは、その「働き」を人間自身が作り出していかなければならないものであるとするのです。世における立場や地位が他力的に与えられるものであっても、自分の仕事は自分の能力で作り出してこそ、この世に生を受けた価値があると考えるのです。(原典)
でっしょー!!?
これ私は小さい時から思っていました。ホントずっと。
一字一句そのとおり、よくぞ昔から思っていたことを言語化して下すった!よくぞ言い切って下すった!
という感じ。
それゆえ既存の世界から選び探すという行為は、世の中に対して従者的な生き方になるわけで、角度を変えれば主体性のない生き方の入り口となってしまうのであります。
鶏口牛後って学校で習ったやないかー!
と真面目にいつも思っていましたね。
まあとはいえ、実際にこういう生き方ができる人は少ない。難しいですよね。
そして半世紀以上もこの世・この社会で生きていれば、多くの人が
どうせ大海に漕ぎ出すなら、既にあるできるだけ大きな船に乗せてもらった方が手っ取り早いし格好つくし安全やんな
と考えるのも分かる。いや、最近になってようやくぼんやり分かってきた(だいぶん遅い)。
それに「既存の世界から選び出す」仕事のスタイルが悪いわけではない。
そういう多くの人たちの存在で社会は成り立っているし、そういう生き方こそ宿命に合っているのだ!という人も多い。なので全然悪くはない。
でもオーダーメイドじゃないのですよね。それだと。
隅々までこうしたい、こう進めたい、こうありたいなど自分にピッタリ合った形で仕事を作っていく。どこまでも自由で納得は行くけれど、面倒でしかも安全度は低い。だって大会に小舟で漕ぎ出しているのだから。
一方既存の船に乗せてもらえば、ある程度の安定と安全が保障されるけれど、自由は激減し自分に合わないことも飲み込まなければならなくなる。それは宿命から大きくズレやすいかもね?ズレてなければいいけどね?という懸念。
両者一長一短。
いやいや、ここで1記事でまとめてしまえるほど1か100かみたいな話ではありません。十人十色、千差万別なのでね。
でも職業はバンカー(銀行家)です、大工さんです、パン屋さんです、歯科技工士です・・何でもいいのだけれど、そのシールの裏側で自分に合った活動形態を実現できて、自分の宿命に合うエネルギー燃焼を伴う仕事を自分で作って行ければいいよね!ということなのですよね。算命学の言いたいことは。
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本日もお読みいただきありがとうございました。
Curtain Call、Andrew Wyeth
カーテンコール:舞台公演の終わりに、出演者が観客にお辞儀をしたり挨拶をするために再び舞台に登場すること
特に熱烈にやりたいことがあるわけでもないし・・・どうしよ?と思った時ひとは
とりあえずじゃあ大きな船に乗せてもらうことを目指そうか?
という考え方になるのだな。そして実はそういう人が大多数なのだな?!
と本当に最近になってようやく気付きました。本当に遅い(笑
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